| Up | 「書式」 の存在論 | 作成: 2026-01-16 更新: 2026-01-16 |
ChatGPT の出力は,これ以上でも以下でもない。 しかしひとは,ChatGPT の将来に,「判断の外注・思考の代替」 を想っているかも知れない。 そこで,この想いは間違いであることを,ここに示しておくとする。 つぎの形で: 「判断外注・思考代替」は,存在論的に不可能 (1) 「書式」 か否かは,主観ではない 実際,書式として扱う。 この「書式として扱う」は,人の主観ではない。 即ち,つぎではない: 主観に過ぎない。 実際は,書式以上 (判断外注・思考代替) の扱い。」 なぜ,主観でないか? 書式以上に扱うと,痛い目に遭う。 <痛い目に遭う>は,主観ではなく,現実である。 (2) 「書式」 以上にはならない ところで,物事の言語化は,きわめて部分的。 そして,本来言語化できないものを言語化するという, 無理をしている。 ChatGPT は,テクストを言語ゲームでつくっている。 この言語ゲームは,現場の言語ゲームへの応用可能性をもつ。 しかし,現場の言語ゲームは,生ものとくっついて いる。 ChatGPT の言語ゲームと現場の言語ゲームは,存在階層も次元も違っている。 この2つの構造が,ChatGPT の限界を本質的に定める。 そして特に, 「書式」以上にはならない となるわけである。 |