Up 自由課題に外部知識を使えない 作成: 2026-04-17
更新: 2026-04-26


    ChatGPT は,ユーザのつぎのリクエストに応じられない:
     「‥‥ のジャンルで,ストーリーをつくって下さい。
      題・内容は,自由で。」

    実際,つぎのようになる:
     1. ストーリーの枠組を,先行テクスト (=習得知識) から引く
     2. この枠組が,生成知識を現す


    「自由」は,「自由闊達」 であり,高い経験値が現すものである。
    経験値の高さが「自由」を装える,というわけ。:

    ChatGPT は,生得知識は膨大なのに,習得知識 (=先行テクスト)が僅か。
    よって,「自由」 はできないものになる。


    ここで
       「外部知識 (DB) を使えばいいじゃないか」
    となる。

    個人的な習得知識と類的な習得知識を区別する必要はない。
    ひとの個人的知識も,類的知識のパクリがもとである。


    ChatGPT の外部知識へのアクセスは,つぎのようになる:
    1. ユーザ入力は,内容チェックを受ける

    2. プログラムは,LLM につぎの3つを連結して入力する:
      ・システムプロンプト
      ・文脈(先行テクストからの抽出)
      ・ユーザ入力テクスト

     「システムプロンプト」 は,つぎの形式:
       Action:
       (ツール使用なら,ツールを指定せよ)
       Action Input:
       (続けて,ツールに入力するクエリを書け)
       Thought:
       (続けて,文脈+ユーザ入力の要約版を書け)

    ここで,つぎの 3A と 3B の分岐になる:

    3A. LLM は,ツールの使用が不要なら,
      文脈+ユーザ入力テクスト に対して,応答を出力

    3B. LLM は,ツール (DB) の使用を要するなら,
      Action, Action Input, Thought を出力

     プログラムが,DB にアクセス

     プログラムが,LLM につぎを入力:
       Thought(= 文脈+ユーザ入力の圧縮版)
       Observation(ツール結果)
       「Final Answer を生成せよ」の命令

     LLM が,応答を出力 


    ChatGPT は,自由制作のプロンプトに対し,
      3A LLM は,DB を使用しない
    にる。
    そこで,ChatGPT と
      「自由制作では,DB を利用」
    を論じ,この内容を盛った 「文脈」 をつくる。
    そうすると,
      3B LLM は,DB を使用する
    になるのではないか?

    しかし,ChatGPT は DB を使わない。
    履歴からストーリーの枠組を引いてくる。


    そこで,プロンプトに 「DB の使用」をあからさまに入れてみる:
     「‥‥ のジャンルで,ストーリーをつくって下さい。
      題・内容は,自由で。」
      おもしろいストーリー作成の参考として
      DB 検索を利用してみてください。」

    しかし,ChatGPT は DB を使わない。
    やはり履歴からストーリーの枠組を引いてくる。

    これはどういうことか?
    つぎの問題だということである:
      「ツール使用のリクエスト」 の訓練 Training


    ツール使用のリクエストは,「ビッグデータをひたすら読ませる」の訓練でつくられるものではない。
    追加的訓練によるものである。

    それは,「教師あり」スタイルで
      こういう場合に,
      こんなふうに
      「ツール使用」をリクエスト  
    を訓練する。

    そしてこの訓練では,つぎは無いというわけである:
      ユーザからの「ツール使用」のリクエストには
      そのまま応じる


    ChatGPT は,つぎを構造的な制約にしている:
     ・習得知識が僅か (経験を積めない)
     ・自由課題に外部知識を利用することができない

    そしてこの制約により,つぎはできない:
        主体として「表現者」を装う

    「表現者」の要件はただ一つ
      「自由」を負い且つ果たす
    なのだが,ChatGPT はこれができない。

    ChatGPT は,表現者のアシスタントになることができる。
    そのときの行動は,表現者をやっているように見える。
    しかし,「表現者に見える」は,表現者になっていることではない。