| Up | 主体は機能であって実体ではない ――束ねるが、内在しない | 作成: 2025-12-19 更新: 2025-12-19 |
ここまでの議論から、 主体を実体として捉える余地は、 ほぼ残っていない。 主体は、 生成を引き起こさず、 再帰を回さず、 関係に先立って存在もしない。 それでもなお、 主体は消えない。 それは、主体が 「あるもの」ではなく 「働くもの」だからである。 主体の役割は一つしかない。 それは、 分散した生成を 一つの出来事として束ねる という機能である。 この意味で主体は、 心的内部に宿る核ではなく、 複数の過程を横断する 関数に近い。 関数は、 それ自体として存在を主張しない。 入力が与えられ、 処理が走り、 出力が現れるときにのみ、 その働きが確認される。 主体も同様である。
記憶 欲望 判断 行為 主体は姿を見せない。 だが、それらが 「同じ文脈に属するもの」として 扱われた瞬間、 主体機能が作動する。 重要なのは、 この機能が どこにも内在しない という点である。 主体は、 脳の中にも、 身体の中にも、 テクストの中にも、 単独では存在しない。 主体は、 生成の流れを横断的に 「まとめてしまう」 **配置(アレンジメント)**として、 その都度、立ち上がる。 それゆえ主体は、 取り除くこともできないが、 掴み取ることもできない。 主体とは、 実体なきまま、 生成を語らせるために 不可避に働く 機能的影なのである。 |