Up 主体と無我の非対立関係 ――否定ではなく、生成論的位置づけ 作成: 2025-12-19
更新: 2025-12-19


    2025-12-18 セッション

    ここまでで描かれた主体像は、
    「無我」と対立するものではない。
    むしろ、
    無我の射程の内側でのみ成立する主体
    である。

    無我とは、
    「主体が存在しない」という主張ではない。
    それは、
    主体が生成の基底ではない
    という位置づけである。

    主体は、
    生成を起こさず、
    再帰を開始せず、
    関係を開かない。
    それらはすでに起きている。

    無我とは、
    この事実を徹底的に引き受けた
    生成論的視点である。

    したがって、
    無我の立場から見れば、
    主体は否定されるべき幻影ではない。
    主体は、
    生成が自己を整理するために
    一時的に必要とする形式
    として、正当に位置づけられる。

    ここで重要なのは、
    主体に「留まれない」という点である。

    主体は、
    生成を回収するために現れるが、
    その回収が終わった瞬間、
    再び生成は動き出し、
    主体の外へと溢れていく。

    無我とは、
    主体が現れる条件を理解し、
    その条件が解ければ
    主体もまた解消される、
    という運動の把握である。

    言い換えれば、
      主体は
      生成の中で 現れてしまう
      無我は
      その生成に 留まらない

    この二つは、
    否定関係ではなく、
    時間的・構造的なずれ
    として関係している。

    主体は、
    無我の否定によって壊れるのではない。
    無我の理解によって、
    過剰な実体化を免れる。

    無我とは、
    主体を消す思想ではなく、
    主体を軽くする思想なのである。