Up 2019-03-11,ハシボソガラスの存在論 作成: 2019-03-11
更新: 2019-03-13


    本実験は,穴に餌を入れるパフォーマンスをボソ01 に見せる。
    これまでやってきて,このパフォーマンスはいい加減でよいことがわかってきた。
    すなわち,何であれ,ボソ01 は餌が入れられたと受け取る

    われわれは,穴の蓋をとって穴の中に餌がなければ,「餌は実は入れられなかったのだ」と受け取る。
    一方ボソ01 は,人間の幼児がそうであるように無いことを「無くなった」と受け取るのである。

    ボソ01 にとっては,穴に入れられた餌は,《無くなることもあれば,そのまま残っていることもある》といったものである。
    そこで,すべての穴をチェックすることになるわけである。

    よってこの実験には,「有」「無」の記号に意識が向かう契機が存在しない。
    穴の数を増やしても,行動の質的変化──課題解決行動に変質──へは進まない,ということになる
    したがって本実験は,方向転換を考えねばならない。


    本実験は,<餌が有ったり無かったりするもの>──穴──を用いているところが特徴である。
    これは,つぎのやり方と対比される:
      <つねに餌が入っているもの>の表象として「有」をラベリング
      <つねに餌が入っていないもの>の表象として「無」をラベリング
    実際このやり方だと,「有」は「餌」の意味になる。
    したがって,使う文字は「有」「無」ではなく,最初から「餌」にすることになる。

      「餌」と「有」の記号の違い──構造的違い──を譬えで言うと:
        ハシボソガラスにとって甲虫Aが餌であり,その食べ方が《外殻は食べず中身だけを食べる》であるとき,
        餌を入れた包みに書かれた「餌」は,Aの外殻の模様にあたり,
        餌を入れた穴の蓋に書かれた「有」は,Aが習性的にその下に潜んでいる葉の模様にあたる
      外殻の模様はAに属するが,葉の模様はAに属していない。
      「有」の方が記号構造が複雑──記号度が高い──というわけである。


    そこで本実験の方向転換だが,とりあえず餌を穴に入れるフェイクパフォーマンスをやめ,併せて穴を増やしてみることにする。