- 子どもが1わだけになったのは,確実なようだ。
実は,昨日,子どもの1わがあらぬ方向に飛んで行ったのを見ている:
- 隣家の高い屋根の上に,♂親と子ども1わがいる。
もう一わの子どもは,屋根の斜め下にある木の低いところにとまっている。
そこから,屋根の上の親子と一緒になろうとして飛び立つ。
- しかし,高い窓のところでバタバタする。
窓に自分の鏡像が映って,これに反応したのかも知れない。
その位置から屋根の上に至るには,窓のうえに突き出ているひさしを回り込まねばならないのだが,この動作にならない。
♂親は,屋根の縁から下を覗いてこの様を見る。
- 子どもは,混乱してしまったのだろう,家から離れる方向に飛んで行く。
♂親はこれに反応しない。
- 疑問なのは,子どもが離れて行ったことに♂親が反応しなかったことである。
二つの推理が立つ:
- 飛んで行った先を視界に捉えているので,だいじょうぶ
- 「去る者は追わず」
しかし,《飛んで行った先を視界に捉えているので,だいじょうぶ》はないように思う。
なぜなら,迷ってしまった子どもは,近隣のハシブトガラスの領分に入ってしまい,おそらく彼らにやられてしまうだろうからである。
実際,ボソ01 とハシブトガラスは,いつも対峙している。
本日も,威嚇の声や飛翔を以てやり合っている見ている。
そして,ボソ01 の子どもの巣立ちは去年より半月ほど遅いので,ハシブトガラスの子の巣立ちよりだいぶ遅れている。ここにもボソ01 の子どもの不利がある。
ここからはまったくの想像だが,ハシボソガラスにとって「巣立ち」の意味は「いつでも自立してよい──去る者は追わず」なのではないか?
《子が親からはぐれない》は,《親が子どもの場所をとらえている》よりも《子どもが親の場所をとらえている》ではないか?
巣立ち後の子どもに対する餌やりは,子どもが餌をねだるから (まだ自立しない体だから) 餌をやるのではないか?
いずれにしても,少なくともボソ01の場合,巣立ちはこれで一安心というものではなく,これからしばらくが子どもにとっていちばん危険というもののようである。
──昨年も,巣立ち後の子どもをなくしている。( 育雛失敗)
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