Up | <隣のハシブトガラス>との間合いについて | 作成: 2023-10-26 更新: 2023-10-26 |
この関係性を利用して,ボソでカラス学をさせてもらっている。 そしてボソとこのように付き合うことは,ボソとなわばりが隣のハシブトガラス (以下,ブト) が「お隣さん」になることである。 「お隣さん」との間合いは,「こんにちわ」で収めるくらいが最良である。 ブトに対しても,これを採用している。 カラスにとって,自分より圧倒的に大きい人間は,怖い存在である。 カラスは,逃げようと思えばいつでも逃げられる位置取りができていれば,人間の近接を許してくれる。 さらに安心させるには,間に柵のようなものをはさみ,カラスより高くは立たないようにする。 ブトのわたしに対する警戒心は,ボソほどではない。 上の間合いになっていれば,1mほどの近さで声かけができる。 本日はこの距離で,ブトの♀が♂の頭の虫(?)取りをするところを見られた。 さらに,頭を痛く突かれたのだろうか,♂が♀に怒るところも,見ることができた。 ひとは,生き物を忌避することが正しいと教えられ,そう信じている。 こうしてひとは,生き物をわかろうとしない。 生き物がわからないので,生き物と出遭うとこれに恐怖する。 そして,「駆除」で応じようとする。 《生き物がわからないので,生き物と出遭うとこれに恐怖し「駆除」で応じようとする》がどういうことになるか,わかるだろうか? 生き物が人と出遭わないことは,不可能である。 人と出遭ってしまった生き物は,ひとが「駆除」しようとするものになる。 こうして,ひとにとって生き物は, 「駆除」一点張りで考えるものになる。 誇張してこのように言っているのではない。 ネットで,カラスとかクマとかクモとかダニとかを検索してみよ。 「駆除」のことばがズラーッと並ぶだろう。 ボソ,ブトと対することは,インテリジェンスと対することである。 相手はインテリジェンスなので,共存の方法は<以心伝心>と<ルール設定>である。 <以心伝心>と<ルール設定>は,互いに相手を認知するところから始まる。 しかしひとは,この逆を教えられているのである。 「忌避する」「出て来たら駆除」に洗脳されているのである。 ひとはクマをわかろうとしないので,煽られるばかりとなる。 クマに襲われるのは,<クマが食べ物を求めて移動している場所>に侵入する者たちである。 春の山菜採り,秋のきのこ採りが,クマに襲われる相場である。 クマにとって彼らは,<食べ物を奪う者>である。 食べ物が少ない年だと,「食べ物が少ないのは彼らが食べ物を奪っているからだ」の思いになる。 そこで,クマは彼らを追い出そうとする。 しかしクマは,人間が身体的にひ弱であることを知らない。 クマは,人間が強いものだと思っているので,がんばって追い出そうとする。 人間は,くまにがんばられると,ひとたまりもない。 そのクマは,<人間を襲うことを常習にしたクマ>と定められ,駆除の対象になる。 無知な人間の浅はかな行動が,くまを犯罪者に仕立て,これの駆除に向かわせるのである。 一事が万事。 ひとの生き物への対し方は,いつもこうである。 生き物との間合いは,相手を知らなければわからない。 人間がクマと クマがじゃれてきたり,相撲を挑んできたりしたら,ひとは大怪我を負う。 <親しくならないようにする>がクマとの付き合い方になるのは,こういう理由からである。 クマに加減を知ってもらうことは,無理だからである, |