Up | 「砂漠緑化」デマゴギー | 作成: 2024-05-11 更新: 2024-05-11 |
彼らはこれを「砂漠緑化」と称する。 ひとも,このことばを受け入れる。 ひとは,「サバクは植樹によって森林が蘇る」と思うのである。 マスコミは,「砂漠緑化」プロジェクトを称揚する記事を書く。 一方,それが結局どうなったかを報道することはない。 実際,サバクに森林が戻ることはない。 そしてそもそも,先のことはマスコミにはどうでもよいことなのである。 マスコミは,ひとを煽ってナンボだからである。 ひとは,「砂漠緑化プロジェクトが始まった/行われている」を聞くと「サバクに森林が戻るんだ!」と歓ぶようになっている。 そこでマスコミは,「砂漠緑化」プロジェクトは記事になると定めるのである。 植樹でサバクに森林が戻らないのは,街路樹の植え込みで銀座が森林になるわけでないのと同じである。 アスファルトやコンクリートは,森林が戻る土壌ではない。 街路樹は,そこから森林へと拡がるものではない。 サバクの土壌は,森林が戻る土では既にない。 サバクの植樹は,そこから森林へと拡がるものではない。 ひとは,植樹が「緑化」と称されることを,すんなり受け入れる。 こうなるのは,土壌を知らないからである。 植樹で森が戻るのは,森が戻る土壌で植樹したときである。 サバクの土壌は,森が戻らない土壌である。 そして森が戻る土壌は,植樹からは生じない。 土壌について「森が戻る・戻らない」を言うとき,問題になっているのは土壌の生態系である。 サバク化は,生態系の崩壊である。 森が戻るには,崩壊した生態系が戻ることが必要である。 その生態系は,植樹からは生じない。 こうして,サバクでの植樹は森林を蘇らせるものではない。 「砂漠緑化」プロジェクトをやっている者も,最初から人を騙そうとしているわけではない。 「やれば成る」と思って始めているわけである。 しかし,成らないことが見えてくるときは,引っ込みがつかなくなっている。 彼らは,プロジェクトがうまくいっているように見える画像──「植樹の林」の画像──をつくるなどして,ひとを騙し続けることに腐心する者になる。 その「植樹の林」は,鉢植えを並べて「林」と称しているのと同じである。 しかしひとは,「植樹の林」に簡単に騙されてくれる。 鉢植えの植物は,ほったらかしにすると,枯れて死ぬ。 「植樹の林」も同じである。 ほったらかしにすると,枯れて死ぬ。 「植樹の林」は,自然林にはならない。 |