Up | サバク学 事始め | 作成: 2023-12-17 更新: 2024-06-30 |
ひとはこの「砂漠化」を気象学の主題だと思っている。 そこで,「この砂漠化は二酸化炭素排出による地球温暖化が理由」と説かれると,そうだと思う。 現前の「砂漠化」は,二酸化炭素排出とは関係ない。 二酸化炭素排出規制は,この「砂漠化」に何の効果も無い。 そもそもこの「砂漠化」は気象の話ではないからである。 しかしひとは,いま「地球温暖化」にすっかり嵌まっている。 嵌まる理由は,それで救われるからである。 どうして? 「沙漠化は二酸化炭素排出が理由」をひっくり返せば,「二酸化炭素排出を抑えれば沙漠化は止まる」になるからである。 「地球温暖化」はイデオロギーであるが,イデオロギーは宗教なのである。 「砂漠化」の意味は,「砂漠」の意味に依存する。 ひとが「砂漠」のことばで指しているものは,一様でない。 「砂漠」の英訳は "desert"。 "desert" の和訳は「不毛の地」。 不毛の地は, 礫の不毛の地もあれば,岩盤むき出しの不毛の地もある。 過耕作によって不毛になって捨てられた不毛の地もある。 化学物質の汚染による不毛の地もある。 そして, "desert" の意味で「砂漠」を使うことは,不適正である。 ひとをミスリードするばかりである。 実際,学術では「沙漠」が用いられることが多い。 「砂」ではなく「水が少ない」を択ったわけである。 しかし,不毛の地には,「水が多い」もある。 というわけで,本テクストは「サバク」を用いることにする。 そこで,はじめの問題に戻る。 いま「サバク化」が,世界のあちこちで目立っている。 その曰わく「サバク化」だが,内容は一様でない。 実際,その多様性は「サバク」の多義性がもとである。 というわけで,「サバク」とはそもそも何なのかを,本論考で考えてみることにする。 これは,どのような論考になるか? 生態学が柱になる。 「不毛の地」の「不毛」は,生態系の話だからである。 実際,「サバク化」とは生態系が壊れていくことである。 「サバク化」の意味が「生態系が壊れる」になるとき,「サバク化」は「生物進化」の話になる。 本テクストは,サバク学を「地球温暖化」イデオロギーから取り戻して,生態学の中に据え直す。 そして,「サバク化」に,地上生物──特にヒト──の進化 (分化・絶滅の進化) を重ねる。 生命は 40億年くらい前に海に誕生したとされている。 そして,地上に進出するのは,植物の場合ということでは,4億2千万年前。 微生物なら,これよりずっと前,と考えることになる。 生じたものは滅びる。 現前の地上生物は,どれもそのうち滅びる。 さて,それはどんなふうに? 「盛者必滅」のように滅びる。 「盛者必滅」のメカニズムは,自滅である。 恐竜時代の終わりを,科学者は「巨大隕石の衝突」で理解しようとする。 「繁栄しているものの終わりは大災害でなければならない」が,彼らの思考回路だからである。 しかし,繁栄しているものの終わりは,自滅である。 スパイラルメカニズムに嵌まって伸長の一途になったものは,あとは倒れるばかりなのである。 ヒトは,繁栄することが不毛の地をつくることと表裏になる生活様式を,進歩させてきた。 これが,ヒトの進化である。 この進化が加速し,いま爆発寸前になっている。 即ち,人口増加率が,生活資料生産増加率を超えてしまっている。 人口増加の内容は,市民 (市 market の民──生活資料生産をしない民) の増加である。 そして,ひとは都市に流れる一方。 都市もまた,ひとがつくる「不毛の地」のうちなのである。 ひとは否応なく「動乱」の時代に突入する。 「人口増加率が生活資料生産増加率を超える」のいびつな構造を鎮めるものは,「動乱」なのである。 進化は「進歩」ではない。 「分化・絶滅」である。 実際,ひとはこれを繰り返してきた。 いまが昔と違うのは,スケールがグローバルになっているということである。 スケールがグローバルにしたものは,テクノロジーの発達である。 温故知新。 スケールがグローバルになっているといっても,「分化・絶滅」の物理は昔と変わるものではない。 生活資料に不足する国がすることは1つ,他国に入って「略奪」することである。 合理的なのは「人の口を減らす」なのであるが,これを択ぶような国は歴史上存在した |