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Wikipedia「黄土高原」(2024年時点)
黄土高原は,中国でも土壌流失が最も激しい一帯である。
人間の活動で森林や草原が失われた結果、雨で腐葉土など養分豊かな表土はほとんど流れ去ってしまい、ますます植生の再生が困難になっている。
黄土高原の土壌はアルカリ性でしかも黄土が固く、植物が育ちにくい。
一旦木を切ると森林が再生しにくい場所だといえる。
この数千年間に起こった戦乱、森林伐採、過剰な開墾・放牧などにより、黄土高原の植生は破壊され、土壌の流失が加速し、一帯の地形は無数の水流が削ったために溝だらけのような状態(「千溝万壑」)になっている。
現在森林がまばらな黄土地帯も、古代中国の時代には広く森林に覆われていた。
殷王朝の時代には、山西省と陝西省は大部分が森林地帯で、アジアゾウなどの大型動物も生息していた。
森林の後退は、気候の変化によるもののほか、
不断に続いてきた戦争による混乱、
都市・要塞・長城の建設に使う木材の伐採、
煉瓦製造用・金属精錬用・生活用の燃料にする樹木の乱伐、
人口増加から来る過剰な農耕や放牧
など不合理な土地利用により進行した。
新中国発足後、1950年代以降の極端な農地開発もこれに拍車をかけた。
高原の植生はもはやわずかとなり、古代には50%を超えていたと見られる森林率は5%程度となっている。
高原の東南部はまだ良いといえる状態だが、西北部の草原地帯は乾燥化や砂漠化が進んでいる。
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桜井 (1987), p.53
例えば,黄河中流の大湾曲部に囲まれた陝西省北部と内蒙古自治区南部の一帯は,現在は広大なホブチ沙漠とムウス沙地となっているが,この地域は前述のように年降水量が 300~ 400mm あり,気候も温暖なため,約1000年,あるいは近々200 年位前までは,草原あるいは森林であったこ とを証明する史料が沢山残っている。
また現在はホブチ沙漠の東縁部lに当る陝西省北端の清水河流域には,12世紀末まで原生林が存在したという。
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高見 (2014)
黄土は粒径が0.004〜0.06mmのシルトで、乾いているときはスコップの刃がたたないくらい固い。
ところが、砕かれると微小な粉になって風に舞い、わずかでも水が加わるとグリスのように溶けて流れだす。‥‥‥
黄土高原で森林がなくなった一番大きな原因は過剰な耕作である。
山や丘陵の急斜面まで畑が耕されてきた。
ヒツジ、ヤギなどの放牧もある。
被害が深刻なのは春先で、青いものがどこにもないため、前足で草の根本をかき出して食べている。
ヤギは急な岩場も登っていく。
林業関係者は「100人が植えた木を100頭のヤギが台無しにする」と話すが、実際はそれ以上かもしれない。
政府は懸命に規制しており、農家が放牧で得る収入も多くはないが、貧しい村ほどそこからの収入を無視できず、完全になくすことができない。
生活燃料を得るための伐採もある。
大同は中国有数の石炭産地であり、農村でも石炭を使うことが多かった。ところが原油の値上がりに引きずられて石炭価格も上昇し、2000年に1t60元だったものが、2008年末には850元になり、いまでは1000元を超えている。
そうなると農家は手を出せない。
トウモロコシやヒマワリの茎や芯、アワ、キビの藁などを燃やしているが、足りない分を山に求める人が一時期より増えた。
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