Up 存在幻想「国」 作成: 2016-04-04
更新: 2016-04-04


    原発の論の中には,国がどうこうという言い回しが出てくる。
    「国」は,実体的に存在していない。
    「国」はことばであり,法的な主体語として用いることばである。
    「国」に主体を求めるとき,その主体の内容になるものは,あくまでも具体的な人間である。

    原発が「国策」であるとは,「国策」と称するようにさせた人間がいたということである。
    その人間に積極的・消極的に付き合った人間がいたということである。

    「国策」は,政治家がつくる。
    政治家は,<維新の志士>と<その他>である。
    「3対7の法則」というのがあるが,「原子力立国」レベルの「国策」づくりの場合,<維新の志士>と<その他>の比は「1対 99」よりもっと小さい。
    即ち,「国策」づくりは,特個の独壇場模様で展開する。

     例. つぎの文献の一つの読み方は,「中曽根康弘・正力松太郎」<維新の志士>物語である:
      『原発メルトダウンへの道──原子力政策研究会100時間の証言』
       (NHK ETV特集取材班, 新潮社, 2013)