Up | フィクション「安全神話の虜」 | 作成: 2016-04-03 更新: 2016-04-03 |
橋をつくる者・運用する者には,「安全神話」など入り込む余地は無い。 なおのこと,原発をつくる者・運用する者には,「安全神話」など入り込む余地は無い。 他とは比較ならないほど,おっかなびっくりで,つくり,運用するわけである。 つくる者・運用する者は,つくった物・運用している物が事故を起こしたとき,どう言い訳するのが最良か。 「安全だと思っていた」と答えるのが,最良である。 正直に「危険をいろいろ想定していた」「事故を危ぶんでいた」と答えるのは,最悪である。 「なんで敢えてつくったのか・運用したのか」の追求を受けることになるからである。 <つくる・運用する>をやっている者は,メディア等がさかんに流布している「安全神話」説のウソがわかる──騙されない。 <つくる・運用する>の経験のない者は,「安全神話」説に納得してしまう──騙される。 特に,メディアは,手も無く騙される。 机上の「反対」イデオロギーも,手も無く騙される。 騙された者は,鬼の首をとったと勘違いして,「安全神話」説を広める。 「安全神話」神話をつくる者になるわけである。 原発づくり・運用で責任を問われそうな立場の者にとっては,ありがたい展開となる。 「安全だと思っていた」の言い訳を用いてきた者にとっては,「してやったり」の展開となる。 |