Up 「原子力」プロパガンダ : 要旨 作成: 2016-04-06
更新: 2016-04-06


    一般に,プロジェクトを進めることには,周囲の共感・容認を獲得していくことが含まれる。
    これを,プロパガンダとして行う。

    「原子力」プロジェクトは,実質,原発プロジェクトである。
    そして,原発プロジェクトの場合,「周囲の共感・容認」は国規模になる。

    共感を得るためのプロパガンダは,「夢」プロパガンダである。
    容認を得るためのプロパガンダは,原発プロジェクトに警戒する理由が原発の危険性であるから,「安心」プロパガンダである。
    こうして,原発プロパガンダは,「夢」プロパガンダと「安心」プロパガンダを重ねるものになる。


    物事は,功罪相半ばである。
    これをありのままに示すことは,プロパガンダにならない。
    プロパガンダは,<罪>の隠蔽ないし過小評価をするものである。
    プロパガンダの本質は,虚偽・騙しである。

     註 : 「虚偽・騙し」にネガティブな意味はない。
    虚偽・騙しは,生活の重要な要素である。
    ひとの成長には,虚偽・騙しとの付き合い方の学習が含まれる。
    虚偽・騙しにまともに騙されてしまう者は,この学習がきちんとできていない者である。

    プロパガンダは,「自分は虚偽・騙しをしている」の思いがあると,できない。
    この問題に対し,心理はつぎの二タイプの防衛機制を現す:
    1. 自分の行為を,「役割」で合理化する
    2. 虚偽・騙しの思いを,抑圧する
    こうして,プロパガンダをする者は,「夢」「安心」をまともに信じている仕草を身につけ,外に現していく者になる。

    原発容認の心理も,合理化と抑圧である:
    1. 容認を,「生活」で合理化する
    2. 危険の不安を,抑圧する


    特に,原発プロパガンダとこれの受容は,「安全神話」で物語るものではない。
    「安全神話の虜」は,ここには存在しない。
    物語のタイトルをさがすなら,「裸の王様」である。
    裸の王は,自分が裸であることを意識しつつ,自らを騙す。
    これを見ている民衆は,自分が王の裸を見ていることを意識しつつ,自らを騙す。