Up 事実の曖昧化 : 要旨 作成: 2016-03-27
更新: 2016-03-27


    原発事故災害では,<事実の曖昧化>が現象する。


    事実曖昧化の第一の理由は,《事実がそもそも不明》である。
    原発事故災害は,はじめての経験である。
    そして,他から知識・情報を得ようとしても,はかばかしいものは存在しない。

    わかりやすい例が,被曝線量の問題である。
    一般人の安全の目安として「年間1ミリシーベルト(mSv)」が示されているが,この数値を意味づけられる者は存在しない。
    実際,緊急作業時被ばく限度が現在「年間 250mSv」に設定されているが,ロジックとして,これも「安全基準」である。

    そもそも,被曝実害は確率事象であるので,何mSv 以下だから安全とは言えない。
    被曝実害は,《放射線が DNA に当たり,DNA が損傷し,生体機能が壊れていく》の図式で理解されている。
    放射線が DNA に当たるのも,当たった DNA の損傷度合も,そしてこれによる生体機能破壊も,すべて確率事象である。
    放射線量が大きくなるほど,それぞれ確率が高まる。
    短時間で死に至る大量被曝は,これらの確率が100%になる場合である。
    一方,「何mSv 以下だから安全」レベルでも,ひどい「不運」ということになるが,生体機能破壊まで行ってしまうことはロジックとしてあり得る。

    この「確率事象」の実際は,まったくわかっていない。
    人体実験できる内容ではないからである。


    事実曖昧化の第二の理由は,意図的ないし非意図的な《事実隠蔽》である。

    原発事故に際し,官邸発表は事故の過小評価に終始した。
    このうちには,「メルトダウン」に言及した記者会見担当者の「更迭」というのもあった。
    これらは,意図的な事実隠蔽に類する。
    ──実際,そうでなければ,政府は「騙された間抜けな者」になってしまう。

    《事実隠蔽》の役割を,事実隠蔽と思わずに律儀に努めた者もいる。
    「専門家」である。
    放射線量への危惧が広まるに際し,メディアはこれを抑える役を請け負った。
    そして,「専門家」に「数マイクロシーベルト」が問題となる数値でないことを,解説させた。
    常套は,「X線胸部写真」「国際線航路」の類の被曝線量数値との比較である。
    この論法は,「数マイクロシーベルト」と「数マイクロシーベルト/時」を同じにするものである。
    算数科でいえば,距離と速さを同じにしているわけである。
    こうして,「専門家」がどの程度のものであるかが,くしくも,暴露されることになった。



    放射線量への危惧を抑える役を請け負ったメディアは,特に,「風評被害」のことばを奇妙に使う者になる。
    「風評」とは,「根も葉もないうわさ」であり「ウソ」である。
    しかし,水や畑作物や魚介の放射能汚染は,ウソではない。──事実である。
    放射能汚染を警戒した買い控えによる生産者被害は,「風評被害」ではない。
    単に「被害」である。

    消費者が食物の汚染に特段警戒することには,理がある。
    体内被曝は,体外被曝と同列に置けるものではないからである。
    マスコミが「風評被害」キャンペーンを始めた時期,妊娠中の者が食品の産地に気を配ったのは,理がある。
    対して,マスコミの「風評被害」キャンペーンを鵜呑みにすることに,理はない。


    <事実の曖昧化>の時代での生き方は,<覚悟>である。
    <覚悟>の形は,年齢・社会的立場・もっている世界観で,自ずと違ってくる。
    生い先が長い若者と生い先短い年寄りとでは,選ぶものが自ずと違ってくる。
    生業を立てていかねばならない者と年金生活者や被介護者とでは,選ぶものが自ずと違ってくる。
    特に,ひとの覚悟の形が自分の覚悟の形と違うことに違和を感じるのは,誤りである。