Up <維新の志士>ギャンブラー : 要旨 作成: 2016-04-02
更新: 2016-04-03


    人間の系には,<維新の志士>が一定比で出現する。
    原発を導入した者は,自分の人生を原発に賭けようとした<維新の志士>である。

    <維新の志士>は,国でゲームをしようとする者である。
    <維新の志士>のゲームは,本質的に,ギャンブルである。
    原発の<維新の志士>の思考回路は,<原発に国運を賭ける> (「原子力立国」) である。

    ギャンブルは,リスクとハイリターンのトレードオフである。
    ギャンブラーは,ハイリスク・ハイリターンのギャンブルに,血が騒いでしまう者である。
    ハードルの高さに,血が騒いでしまう者である。
    そして,これに手を出す。
    並の者が尻込みするリスク,高いハードルは,ギャンブラーには却って高揚するものになる。


    ギャンブラーの失敗のツケは,周りが負う。
    家族の長のギャンブルは,失敗すれば家族がこれのツケを一身に負う。
    国を賭け事にするギャンブラーの失敗は,一般国民がこれのツケを負う。
    原発事故は,原発ギャンブルの失敗であり,これのツケはとりわけ農業・畜産を生業にしてきた者が負う。


    ギャンブラーは,特殊な職業に多いというものではない。
    職種横断である。
    生態系におけるギャンブラーの一定比存在は,生態系の「個の多様性」の含蓄である。

    強調するが,ギャンブラーは,悪意ある者ではない。
    国を賭け事にするギャンブラーは,<維新の志士>であり,善意の士であり,優秀で才覚がある者である。
    ただし,その善意は,独善である。

    独善は,つねにはた迷惑である。
    そして,独善の者は,このはた迷惑がわからない者である。
    はた迷惑は国運を賭けた事業の必要犠牲であると定めて,これを顧みない者である。