Up | 柔らかい江戸・硬い東京 | 作成: 2023-11-04 更新: 2023-11-04 |
湿地であるのは,慢性的な洪水域だからである。 江戸はなんでこんな地に開くことになったのか。 家康が秀吉から受領したのが,ここだったからである。 行政の場所を高台におき,低湿地に民を住まわせて町を興すことにした。 適切に灌漑・治水すれば,川は便利な流通路になる。 そして上水道を引くと,そこはたちまち生業の盛んなところになった。 こうして江戸の繁栄が始まったのである。 江戸は,火事と洪水がつきものであった。 そしてこれが,硬直化を阻む新陳代謝システムになった。 江戸にとって火事と洪水は,無くすものではなく,折り合いをつけるものであった。 生活様式を,火事と洪水を見込んだものにした。 実はこれが,都市の「災害に強い」の形である。 テクノロジーを過信する現代人は,強靱なシェルターが「災害に強い」の形だと思っている。 しかし強靱なシェルターを築くことは,それに自分を固定してしまい,身動きがとれなくなることである。 現代人は「安心・安全」イデオロギーで倒錯している。 危険は 自分の居場所はシェルターの中にしかないと定め,シェルターを頼みにする。 東京は,この場合である。 |