Up 「良識」 : 要旨 作成: 2016-03-28
更新: 2016-03-28


    大津波災害で近親者をなくした者は,「たら・れば」を思う。
    「たら・れば」の中には,公的機関や法人が何らかの形で必然的に現れる。
    このとき,ある者は,公的機関や法人の行ったことを「人災」に見なせないかと考える。
    さらに,実際に訴訟を起こす者が,現れる。
    そして,これは勝訴する。
    裁判は論理計算であるから,理を立てれば勝つのである。

    同じような「たら・れば」は,大多数の者がもつ。
    そして,大多数の者は,訴えない者になる。
    なぜか。
    第一に,「状況的にしようがない」と思うからである。
    そして,「みな同じ──自分は特別ではない」「このようなことを訴えだしたら,共同体が保たない」と思うからである。

    「共同体が保たない」とは,どういうことか。
    いまの水準の慰謝料を多数に払えば,単純計算で財政破綻になるということである。
    そして,いがみ合いになるということである。
    「復興」どころではなくなるということである。


    翻って,「訴訟を起こす」には,「自分は特別」が含蓄されていることになる。
    自分は特別」と思う者が訴える者になり,「自分は特別ではない」と思う者は訴えない者になる。
    そして,「自分は特別ではない」と思う者が多数になる。

    多数派になっている考え方を,「良識」という。
    「大津波災害時人災訴訟」に対する考え方では,「自分は特別ではない」が「良識」になる。


    「良識」は,是非の問題ではない。
    共同体を保たせているものは「良識」であるが,共同体がその一部として小さく見えてくるような大きな系では,「個の多様性」のダイナミクスがこれを保たせている。

    自分は特別」と「自分は特別ではない」の個体数の比は,単純に「個の多様性」の内容である。
    これは,是非を言うことではない。
    「系」とは,こういうものである。
    「個の多様性」は,「系」の含蓄である。
    大災害生態系にも貫徹される法則である。