Up 「復興庁」 作成: 2016-04-23
更新: 2016-04-23


    いま,三菱自動車の燃費試験データ不正操作が,時事問題になっているところである。
    これは,「人間模様」として,生態学の内容になる:
      技術部門に,燃費効率の一定数値の実現が,絶対命令で降ってきた。
      しかし,技術部門は,この数値を実現できない。
      そこで,データ不正操作に及ぶ。

    「人間模様」──「負えない課題を負った人間が織りなす模様」──として主題にすれば,「是非もなし」となる。
    実際,かの「下町ロケット」では,「是非もなし」で扱われた。
    ひとは,この手の人間模様には,共感・同情できるのである。

    この手の人間模様でとんがるのは,正義の者を役割行動しなければならない者か,この手の人間模様を知らない者か,である。
    前者の代表は,時事メディアである。


    東北地方太平洋沖地震の復興を目的に,復興庁が設置されている。
    復興庁が設置されるとき,これは箱物である。
    《「復興」が実現されていくことが,即ち箱の内容が埋まっていくこと》と定めているわけである。
    そして,復興庁の員が,この仕事をする者である。

    「復興」の実現は,復興庁の員には負えない課題である。
    そこで,ここにも「負えない課題を負った人間が織りなす模様」を主題化することができる。
    そして,この主題化で見えてくるものは,やはり行政員の巧みさである。
    そしてこの巧みさは,学ぶべきものである。


    巧みさの核心は,《「復興」を「復興事業の展開」に代える》である。
    復興庁は,「復興」を「復興事業の展開」に代える。
    復興庁のホームページのメニューに,その事業が並んでいる。

    事業は,<進行>を形にできる。
    <進行>の度合いは,数値にできる。
    そして<進行>は,数値の改善に仕立てることができる。
    そして,事業は多項目に展開できる。

    《多項目に展開》は,いろいろと目を配っている様に見えるが,これの実際の機能・効果は,《問題を薄める》《問題点を定めさせない》である。
    強調するが,「復興」は「復興事業の展開」のことではない。


    そもそも,ひとは「復興」を事業にすることはできない
    復興庁は,できないことを課題に負わされた者である。
    そこで,「復興」を「復興事業の展開」に代える。
    できないことをまじめに負ってしまったら,三菱自動車の技術部門のようになってしまう。
    ここには是非の問題は無い。
    「是非も無し」である。

    復興庁『復興の現状』(平成28年3月4日) の6ページは,
      「被災3県における人口は、減少傾向にあるものの
       その度合いは鈍化しており」
    として,つぎの「人口推移 (被災3県の沿岸市町村)」のグラフを示している:


    「復興」の課題は,このグラフに示されている。
    このグラフが示しているのは,「現役世代人口の減少」である。
    実際,減少は,人が出て行ったからである。
    出ていったのは,生計を立てるためである。
    そして,生計を立てるために出て行く者は,現役世代である。

    復興庁は,現役世代の流出を止められない。
    市場経済は,官の出る幕ではないからである。
    復興庁が「復興」を「復興事業の展開」に代えることには,理があるというわけである。