Up | 「死ぬる時節には死ぬがよく候」 | 作成: 2020-05-04 更新: 2020-05-04 |
ひとが災難・死を免れれようとする行動は,一辺倒・極端になる。 そしてこの行動で,他の大事を壊してしまう。 この破壊の方が,はるかに大きな災難になる。 一辺倒・極端になるのは,「複雑系」の考えが無いためである。 一つは他と繋がっている,ということを考えない。 一辺倒・極端になるのは,「スケール」の考えがないためである。 「百人の死亡」を聞いてその分母が何かを考えない。 「一億人に対し百人」がどのくらいのものなのかを考えることができない。 良寛のことばは,一見パラドクスだが,はじめの「災難」と後の「災難」は違うのである。 災難は,適当に応じるものである。 これをせずにヒステリックに忌避行動を起こすことが,とんでもない災難になるのである。 これが良寛のことばの意味である。 「新型コロナ」の場合は,つぎのようになる:
「専門家」の「医療崩壊」のことばを受けて,ひとは「自粛」一辺倒になる。 これがいまどんな災難になっているか,見よ。 生活が崩壊し,この先には「恐慌」がちらついている。 当然,精神も病む。 ひとがマスクをつけているのも,既に病気である。 マスク依存症であり,ひとから白い目で見られることの恐怖症である。 良寛のことばは,道理である。 しかし同時に,適用されることのない道理である。。 「新型コロナ」は,人がおそろしく思慮の無いものであることを,再び明らかにした。 「おそろしく思慮が無い」は,政府を含めてである。 戦争が簡単に起こることも,合点がいく。 実際,「自粛」は戦時体制である。 「人はおそろしく思慮が無い」 災害のたびに良寛のことばが虚ろに響くのは,「人はおそろしく思慮が無い」が絶対だからである。 実践科学 (経済学や教育学の類) は,この認識を根底に据えるものでなければならない。 思想は,この認識を根底に据えるものでなければならない。 ──ちなみに,西洋哲学が変態じみるは,この認識が無いためである。 |