Up | おわりに | 作成: 2022-03-18 更新: 2022-03-18 |
存在することは,いまの科学の水準では直接調べられない。 しかし,存在していないと肺が保たないことになる。 ゆえに,常在微生物層は存在する。 いまの生理学・医学は,肺胞を無菌だとしている。 この思い込みは,体の幾何学を持てていないことが根底になっている。 体の幾何学は,内と外の転換,表と裏の転換,ポジとネガの転換である。 その幾何学は,トポロジーである。 生理学・医学は,内と外,表と裏,ポジとネガの転換を知らないので,組織細胞と血液の関係を「細胞と毛細血管」の絵図にする。 しかし,組織細胞と血液の関係の絵図は,「血液に浸かる細胞」である。 生理学・医学は,血液と区別して「リンパ液・組織液」を立てるが,これらはすべて血液である。 生理学・医学が「血液の多様な相」という考え方を持てないのは,「細胞と毛細血管」の絵図が絶対になっているからである。 ひとは科学をたいそう優秀なもののように思っているが,科学でわかっていることは,わかっていないことと比べるとゼロに等しい。 ゼロに等しいと思えないのは,世界の深さを知らないからである。 ひとは,自分のスケールの世界を,世界のすべてと思ってしまう。 こうなるのは,主体的に勉強することをしないからである。 そして主体的に勉強することをしないのは,主体的に勉強するということを知らないからである。 知るべし:学校は,<主体的勉強>を潰すところである。 学校は,矯正する装置である。 ゴール概念を「よい生活者」にして,自分らが勝手に思い込んだ「よい生活者」へと生徒を矯正するところである。 つぎのために,主体的勉強に努めるべし:
「専門家」に騙されて体をおかしくしないために |