Up 「企てる者」論への誘惑 : 要旨 作成: 2016-03-21
更新: 2016-03-22


    「進化」は,すべて「偶然」で解釈する。
    偶然にしてはうま過ぎる」の思いをどうしても持ってしまうが,がんばって《「偶然にしてはうま過ぎる」となるものだけが,現前になるもの》と考える。

    このがまんができない者は,進化論を「企てる者」論でつくろうとする。
    実際,ひとが物事を理解する仕方は,いつも「企てる者」論である。
      「神の思し召し」
      「虫がこうさせる」(「疳の虫」「弱虫」‥‥)
       "selfish gene", "meam"


    虫Aは,鳥Bの腹の中に寄生する生物である。
    Aの卵が,Bの糞に混じって,外に出る。
    虫Cが,Bの糞を食するとともに,Aの卵を体内に入れる。
    Cは,体内でAの幼虫を孵し,水の中にとびこむ行動をする者になる。
    水にとびこんだCを,魚Dが食し,体内にAを入れる。
    BをDが食し,体内にAを入れる。

    この一巡を,どう解釈するか。
    進化論 (ダーウィニズム) は,この一巡を,《偶然の積み重ねでこうなった》と解釈することになる。
    偶然にしてはうま過ぎる」の思いをどうしても持ってしまうが,がんばって《「偶然にしてはうま過ぎる」となるものだけが,現前になるもの》と考える。

    がまんできないものは,「企てる者」を立てる。
    この場合は,虫Aがこの一巡を設計したものと解釈する。
    また,「企てる者」の役は虫にはいかにも重過ぎると感じる者は,「企てる者」の役を遺伝子に負わせようとする。
    "selfish gene" というわけである。


    生物A〜Dの話は,「文化」の話に容易に拡張できてしまう。
    実際,このタイプの論が現れてくる。
    "meam" である。
    "selfish gene" を立てるとき,次に "meam" に進むのは必然である。


    天網恢々疎にして漏らさず」の「天」は,「偶然」である。
    神の思し召し」の「神」は,「企てる者」である。
    「天」が好きな者は,「偶然」をとる。
    「神」が好きな者は,「企てる者」をとる。

    本論考は,「天」好きでやっていくとする。

      "selfish gene" は,端的に,"selfish" になることができない。
      DNA の塩基配列のどこをどう変えれば己の企みの実現になるか,"selfish gene" にはわからないからである。