Up | アニミズム | 作成: 2016-05-08 更新: 2016-05-14 |
<意志・行為>をする者は,自身の姿を直接現さない者であるから,身分は「神」である。 神の立て方は,自然現象のカテゴリーそれぞれに個別の神を立てるのが,素直である。 雷を司る神,川を司る神,けものを司る神,作物の豊凶を司る神,といった具合である。 このレベルの「神」の立て方を,「アニミズム」と謂う。 アニミズムのレベルでも,神の立て方にいろいろ工夫が施される。 いちばんの工夫は,神の階層化である。
自然および生活上の現象は,個々に,人にとって善い面と悪い面をもっている。 例えば,川には,洪水という悪い面がある。 したがって,神は,人にとって善いことと悪いことの両方をする者である。 そこで,神は,人にとってつぎのような存在になる: 人は,《神に好かれる/嫌われない》を,生き方にする。 神に好かれるために,機に応じて,そしていろいろな形で,神を祭る。 <神が嫌うこと>として,<やってはならないこと>を定める。 やってはならないことをやると,神はこれを罰する。 「罰(ばち)が当たる」というわけである。 人は,この作法を,ルーチンとして仕立てていく。 人は,ルーチンをつくることにおいて,つねに見事な律儀さを発揮する生き物である。 ルーチンは,行動一つ一つに及んでいく。 ルーチンは,事細かになっていく。 ルーチンは,これに反すると「不吉」の思いがする。 実際,これがルーチンの機能である。 翻って,アニミズムとは,人が自分の行動を「不吉」の思いで縛る精神文化である。 アニミズムは,これらルーチンを核にして生成される精神文化である。 この精神文化を,現代人は「自然との共生」のことばで美化しがちである。 しかし,アニミズムを精神文化にして生きるとは,「迷信」の中で生きるということである。 人はアニミズムを「自然との共生」のことばで美化するが,これはアニミズムの「自然との共生」が「迷信」と込みのものであることを見ていないためである。 人は,know-how と know-what を用いて生活する。 <what>は,世界の理解の仕方である。 現代は,「科学」を<what>の方法にする。 この立場からアニミズムの<what>をのぞめば,それは「迷信」である。 「アニミズム」の押さえは,そのまま「科学」の意味の押さえに転じる。 アニミズムは,自然および生活上の現象を,<意志・行為>の現れとする。 <意志・行為>の現れとすることは,外部に「神」を立てることである。 「科学」は,現象を系のダイナミクスの現れとする。 そのダイナミクスは,「系の自己言及 (self-reference)」である。 自己言及で閉じているから,外部者(「神」) を要しない。 |