Up わたしとは何か」の問い : 要旨 作成: 2016-03-30
更新: 2016-03-31


    ひとはみな,少なくとも一度は「わたしとは何か」の問いに嵌まる。
      なぜ,たまたま一つの生き物が,わたしになったのか?
      この偶然は,なんなのか?
    この問いは,埒があかない。
    この問いを抱えていると,居心地が悪くなる。
    居心地が悪くなるので,この問いの保持は長くは続かない。
    即ち,捨ててしまうことになる。

    わたしとは何か
    わたしという存在は,不思議である。
    では,どう不思議なのか?
    詰まるところ,<一回性> (「この他ではない」) ということになる。
    <一回性>は,通時的と共時的の2つである:
      《わたしは,この大きな時間の流れの中に現れた,一回性》
      《わたしは,この大きな世界の中に現れた,一回性》
    わたしという<一回性>が,不思議であり,整理がつかなくて居心地が悪いのである。

    では,<一回性>は,どうして不思議になるのか?
    <一回性>が不思議になる構造は?
    これを考えるために,周りにいる生き物に目を向ける。

    その個体に寄り添って「<一回性>の不思議」を思うのは,どうも無理である。
    その個体に対しては,《生まれて,そこにいる》の捉えで,満足してしまう。
    これは,つぎのことを示している:
      《<一回性>の不思議は,「わたし」のことばに導かれている》
    即ち,つぎのようになる:
      「わたし」のことばに導かれて,<わたし>を思う。
      <わたし>を思うと,わたしを<一回性>として思うことになる。
      そして<一回性>を思うと,わたしが不思議な存在になる。

    では,これでわたしの不思議を整理できたかというと,全然できていない。
    以上は,「「わたし」のことばをもたない生き物には,わたしの不思議は無い」を言っただけである。
    われ<われ>を思う,ゆえに<われ>あり」を言っただけである。
    <われ>が問題なのではなくて,われが問題なのである。
    われ/わたしの一回性の不思議については,まだ全然手がかかっていない。
    わたしとは何か」論は,ここからがスタートである。