Up 「子ども省」の含蓄 作成: 2021-09-29
更新: 2021-09-29


    自民党総裁選挙候補者が政策を述べる中に, 「子ども省」というのが出て来た。
    人の生き方は他の生物と比べるとき実に異形に見えるものだが,この「子ども省」などは極まった感がある。
    これの含蓄を探ったら,ヒトの進化がどんなステージに来ているのかが,見えてくるかも知れない。
    というわけで,探りを入れてみるとする。


    ヒトは,自給自足を捨てるように進化した。
    自給自足を捨てるその生き方は,《国に生かされる》である。

    その国は,「国の発展」の意味がつぎのようになる:
    • 「<食べられなくて死ぬ>は,あってはならない」
      ──いまの日本は,ひとの生活圏の中で野垂れ死にしている者がいたら,それは事件になる。
    • 「生かせるだけ生かす」
      ──いまの日本は,死にそうなのに延命措置を施されていない者がいたら,それは事件になる。
    • 「生き方に性別があってはならない」
      ──いまの日本は,「男女共同参画」に(もと)ることは,事件になる。


    さて,生物の意味は「繁殖するもの」である。
    生物の<生きる>は,繁殖という一点に向かう。
    <生きる>はらくではないが,その「らくではない」は「繁殖はらくではない」である。

    ここしばらく「カラス学」の趣で<なわばりをもつ(つがい)いのハシボソガラス>の観察をやっているのだが,それは1年の半分を繁殖に費やしている。
    繁殖は,巣作りと,なわばりを奪おうとチャレンジしてくるカラスの撃退から始まり,抱卵・給餌・巣立ちを経て,巣外育雛を果たして終わる。

    「男女共同参画」の場合,ひとの生活は1日のおよそ半分を<金を得るための労働>のためにとられる。 そして1日の 1/4 から 1/3 を睡眠にとられるわけだから,子育ては「物理的」の次元でそもそも無理なものになる。


    こういうわけで,「男女共同参画」には,<子を産む>と<子を育てる>を分けるという含意がある。
    男女が担当するのは<子を産む>までであり,<子を育てる>は国が担当する。

    実際,これについては前例がある。
    イスラエルの「キブツ運動」である。
    ソ連のコルホーズ運動,中国の人民公社運動も──実践例になるものではないが,理念のレベルで──これに類する。

    日本が行う「<子を育てる>は国が担当する」の内容は,いまの
      保育園
      幼稚園
      学童保育 (小学生)
    を全員対象にし,さらにこの上に中高生・大学生の「保育」を積み,以上をシームレスな一貫システムにすることである。


    「子は(かすがい)」のことばがあるように,夫婦をつないでいるものは,子である。
    実際,親子は「共通の遺伝子50%」でつながっているが,夫婦は赤の他人である。
    よって,<子を育てる>が国の担当になるとき,夫婦の関係は<子を産む>で終わりになる。

    こうして,この制度は「家族を無くす」の意味になる。
    実際,いまの日本は既に「家族を無くす」の方向に進んでいる。
    夫婦別姓が進歩的とされるようになっており,離婚が普通のことになっている:
厚労省『2020年人口動態統計(確定数)の概況』「第3表-1 人口動態総覧, 都道府県別」より
婚姻件数 離婚件数
全 国 525,507 193,253
北海道 20,904 9,070
青 森 4,032 1,915
岩 手 3,918 1,679
宮 城 8,921 3,553
秋 田 2,686 1,213
山 形 3,530 1,362
福 島 6,674 2,969
茨 城 10,622 4,403
栃 木 7,396 3,037
群 馬 7,044 2,857
埼 玉 29,260 10,659
千 葉 24,996 9,187
東 京 73,931 20,783
神奈川 39,641 13,509
新 潟 7,570 2,637
富 山 3,720 1,239
石 川 4,336 1,474
福 井 3,029 1,052
山 梨 3,182 1,296
長 野 7,701 2,910
岐 阜 7,003 2,834
静 岡 13,846 5,474
愛 知 35,390 11,713
三 重 6,855 2,759
滋 賀 5,878 2,050
京 都 10,197 3,742
大 阪 40,989 14,832
兵 庫 21,964 8,370
奈 良 4,574 1,831
和歌山 3,527 1,529
鳥 取 2,098 814
島 根 2,398 877
岡 山 7,852 2,986
広 島 11,765 4,233
山 口 4,810 1,988
徳 島 2,609 1,081
香 川 3,786 1,498
愛 媛 4,903 2,001
高 知 2,440 1,149
福 岡 22,745 8,955
佐 賀 3,031 1,235
長 崎 4,900 1,976
熊 本 6,793 2,797
大 分 4,406 1,889
宮 崎 4,148 1,905
鹿児島 6,131 2,521
沖 縄 7,376 3,410

    こうして「家族」は──少なくともシステムとしては──終焉する。
    終焉するのは,「家族」が意味の無いもの──空回りする歯車──になるからである。 (終焉の理由はこれ以上でも以下でもない。)

    さて,なにはともあれこれで少子化問題は解決か?
    解決とはならない。
    「少子化」は,「子どもはべつに無くてもよい」という現象だからである。
    「少子化」は,子育てのコストの問題ではなく,人生観──「己の一度きりの人生はどんなのが最上か?」──の問題なのである。


    なお「子ども省」は,「家族」を最終的に終焉させるプログラムであることを以て,「老人省」がこれと対になる。
    「発展」した国になることは,いろいろたいへんなのである^^
    こっちの省については,また別の機会に触れるとする。