Up | 異常な子育て時代の「異次元少子化政策」 | 作成: 2023-01-20 更新: 2023-01-20 |
子育てが敬遠されるのは,子育てが異常なものになっているからである。 「異次元少子化対策」は,子育てが異常なものになっている時代ならではのものである。 一般に,異常が異常とされず,逆に正義とされているとき,正義に辟易する者は,その異常とは距離を置こうとする。 政治はひとを何とかその異常に向かわせようとして,「異次元対策」を打ち出す。 しかしそれは,効果が無い。 特に,政治の「異次元少子化対策」は効果が無い。 この時代の子育ては,異常な子育てである。 「異常」の内容は,「ひどく手がかかる」である。 ひどく手がかかるのは,手をかけなければ失敗し,失敗すると全国的に晒しものにされ,大騒ぎされるからである。 子育ては,失敗しないために腐心するものになる。 これを煩わしく思う者は,子をつくろうとはしない。 この現象が「少子化」である。 いまの団塊世代の子ども時代は,子育ては家畜の放牧みたいなものであった。 子どもは食べたら外に出て,食事の時間になったら戻ってくる。 いまの団塊世代のさらに一世代前は子沢山がふつうであったが,それでやれたのは子育てが放牧方式だったからである。 食べ物にしても,粗食・貧食で構わなかった。 とうぜん子どもに関する事故・事件は多かった。 そしてそれは,いまみたいに全国的に晒しものにされ,大騒ぎされるものではなかった。 いまの時代は,これができない。 できないのは,事故・事件を起こさないことが正義になったからである。 失敗は,正義警察 (マスコミ) によって即刻叩かれる。 失敗しないためにすることは,<子どもべったり>である。 生業のために<子どもべったり>ができない者は,失敗の責任を転化できる先を求める。 それが保育所であり学校である。 保育所も学校も,失敗しないために腐心する。 繰り返すが,失敗したら,全国的に晒しものにされ,叩かれる。 失敗しないためにすることは,<子どもべったり>である。 子育ては,正義警察をはびこらせてしまった結果,ひどく窮屈なものになった。 そして政治は,正義警察がはびこっているのはそのままに,「異次元少子化対策」でなんとかしようとする。 少子化対策のキャンペーンは,「自分の老後の生活のために子をつくろう」である。 政治が「少子化対策」に躍起なのは,少子化になると「年金」をはじめとするいまの社会保障制度が保たなくなるからである。 政治にとって「子をつくる」の意味は,「年金制度等の社会保障制度を保つ」である。 実際はこのようには言わないが,ひとは「少子化対策」をこの意味で受け取る。 そしてこれには,なにか嫌味を感じる。 「子をつくる」とはどういうことなのかを,改めて考えてみるべし。 生物の「子をつくる」の意味は,「分身 (遺伝子) を広く分布する」である。 子との関係を保つのは,意味のないことである。 しかも,子は成体になると親の競争相手になる。 親にとって子は,成体 (実際は,弱々しい成体) になったら追い出すものである。 生物は,進化の過程で,<追い出す>のやり方を定着させてきた。 生物の世界に,つぎのようなものは存在しない:
<子どもの失敗に親が責任をとらされる><親の失敗に子どもが責任をとらされる> 子育てとは,子が成体になったら子と絶縁するものである。 弱々しい成体として追い出された子は,高い確率で死ぬ。 しかし,生き残る者がいる。 この生き残りが,親の遺伝子──種の遺伝子──の分布になる。 めでたしめでたし,というわけである。 人間も,人類史のごく最近までは,これだったのである。 「生き残る子どもがいる──めでたしめでたし」だったのである。 しかしいまは,人間は死なせてはならないものになった。 事故も事件も起こさせてはならないものになった。 豊かになるとは,人間が死なせてはならないもの,事故・事件を起こさせてはならないものになる,ということなのである。。 よくよく吟味すべし。 「生物」ないし「人間の歴史」の視点から見ると,現代はひとの考え方が異常なのである。 日本人は自分は自由な国の民と思っているが,正義警察につねに監視され取り締まられる正義独裁体制の民なのである。 この体制の民は,何事も失敗しない方向を選択する。 そして「子づくり」では,子どもをつくらない方を選択するというわけである。 是非も無し。 |