Up | 「需要・供給曲線」幻想 | 作成: 2024-03-13 更新: 2024-03-13 |
つぎのような思考回路であるらしい:
即ち,このグラフをわかったつもりになれるのが財政の「専門家」で,これをむりやり飲み込むのが「入門者」ということになるらしい。 「むりやり飲み込む」という言い方をしたのは,これは「考えればわかる──わかってあたりまえ」という代物ではないからである。 まず,グラフがとっつきにくい。 独立変数・従属変数の置き方が数学の作法と違うからである。 図2,3の説明を見ると,価格が独立変数で,数量が従属変数である。 よって数学の作法にならって書き直すと:
このグラフの要点は,「需要は価格の単調減少関数,供給は価格の単調増加関数」である。 しかし「価格」の意味が,はじめから曖昧である。 安い鉛筆から高い鉛筆までの価格? 或る鉛筆Aの価格? 「安い鉛筆から高い鉛筆までの価格」だったら,需要曲線も供給曲線もウソである。 ──ひとは「安かろう悪かろう」を知っているからである。 よって「価格」は,「或る鉛筆Aの価格」の意味に解することになる。 これでグラフを納得? そうはならない。 鉛筆Aの需要傾向・供給傾向なんてものは,存在しないからである。 鉛筆Aの供給者は,利益が出る価格内で,消費者の懐具合を考えたときに買ってくれそうないちばん高い価格を設定する。 これはギャンブルである。 需要者の方は,鉛筆Aの価格がどうか,どのくらいの量が供給されているかで,買うかどうかを決めるのではない。 鉛筆Aの価格・品質を他の鉛筆のそれと比べて,買うかどうかを決めるのである。 ここで大事な点は,商品が売れる・売れないは消費者の潜在的傾向を顕在化したのではないということである。 潜在的傾向を立てるのは結果論であって,潜在的傾向なんてものは存在していなかった。 この認識において,「需要・供給曲線」を立ててこれを「本質」だと唱える財政学は,退けるものになる。 何を以て,「需要・供給曲線」財政学の何を退けたのか? 進化論を以て因果論を退けたのである。 ムクドリの群飛,サンマの群泳の形は,予想がつかない。 予想がつかないのは,その群飛・群泳が進化論 (創発 emergence) であって因果論ではないからである。 経済は,予想がつかない。 予想がつかないのは,経済が進化論であって因果論ではないからである。 経済をコントロールしようとする財政は,逆に経済に翻弄されるばかり。 そうなるのは,経済が進化論であって因果論ではないからである。 ちなみに世の中は, 「たった1つの図でわかる!」の類のキャッチコピー詐欺で溢れかえっている。 くれぐれも騙されぬよう。 |