Up 地方の消滅・都市の貧窮 作成: 2024-01-06
更新: 2024-01-06


    「地方」は「都市」の対立概念──「都市」は「地方」の対立概念──である。
    このときの「地方」の意味は「生産地」,そして「都市」の意味は「消費地」。
    地方は生産が生業であり,都市は消費の過程に色々な生業をつくる。

    地方が「地産地消」を専らにすれば,都市は成り立たない。
    都市が成り立っているとは,地方の生産が商品生産だということである。


    商品経済社会では,地方から都市に人が流れる。
    理由として:
    • 若者は,都市を上等と思い,「都市へ出て行かねば」と思う
    • 地方にある職は,就きたいものではない
    • 地方での生産より都市での被雇用の方がラク

    人が都市に流れることは,地方から都市に入ってくる物が減少することである。
    物が減少することは,都市の<消費の過程に生業をつくる>が窮屈になることである。
    こうして,人が都市に流れることは,都市が貧困者の多くいるところになる,ということである。
    都市で成功する者の割合は,小さくなる一方となる。


    地方から都市に人が流れることは,地方が高齢者ばかりになるということである。
    生産をするのは,高齢者。
    高齢者が死んで,生産は止む。
    高齢者の余命が,地方の余命である。,


    生産は,知識・技能のなせるわざである。
    そしてこの知識・技能は,<受け継ぐ>という形で獲得する。
    個人の試行錯誤で得られるものではない。

    地方の生産が止むことは,生産の知識・技能が失われることである。
    都市の貧困者が生活の打開のために地方に進出しようとしても,それはできない。
    生産の知識・技能を持たないからである。
    都市の貧困者は,貧困のまま都市に居続けるしかない。

    こうして,地方の消滅・都市の貧窮は,一方向であり不可逆である。


    いまの地方の生産は,商品生産である。
    商品生産にするために,人工インフラへの依存を絶対にしてきた。
    これは,自給自足の知識・技能を失うという結果になる。
    いまの地方の生産は,自立生産ではないのである。

    こういうわけで,地方の生産は,人工インフラが壊れると,そこでストップしてしまう。
    自然は,地震や台風などで人工インフラを壊す (「自然災害」)。
    いまの地方の生産は,「自然災害」でストップする。
    しかも自給自足の知識・技能を失っているので,「救済」を当てにする一方となる。


    さらに高齢化の地方だと,「自然災害」は地方そのものの消滅になる。
    高齢者は,生業が立たなくなったのを潮時として,引退を決めることになるからである。
    そして高齢化地方の場合,インフラの再構築は,つぎの2つの理由から,不急と判断される:
    • 一人当たりのコストが大きい
    • 地方の財政は,逼迫状態

    インフラの再構築の引き延ばしは,人が土地を捨てて出て行くのと,正のフィードバックを成す。
    こうして地方は,大きな「自然災害」に一度(ひとたび)遭うと,そのまま消滅する。


    いまの日本は,「自然災害」の度に地方が消滅する──その分,都市の貧困者が増える──しくみになっている。
    ひとが「技術の進歩・生活の向上」と思っているものは,「自給自足の知識・技能の喪失」「自然災害に対する耐性の低下」なのである。

    政治が支給する自然災害手当は,今後増える一方となる。
    ひとの自然災害に対する耐性が無くなる一方だからである。


    「地方の消滅・都市の貧窮」というときの「地方」は,国内に限らないことに注意せよ。
    グローバリズム経済では,一次産品の輸出国は,輸入国を「都市」とする「地方」である。
    商品経済は,その一次産業を「乱獲」にする。
    乱獲の場は,荒廃し,サバク化する。
    こうして,グローバリズムの「地方」も消滅していく。