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エンゲルス『反デューリング論』
『マルクス・エンゲルス選集 第12巻』, 新潮社, 1956.
pp.18,19.
我々が見たように、資本主義的生産様式は、商品生産者、個人生産者の社会に入りこんできた。
そして、これらの生産者の社会的関連は、彼らの生産物の交換によって媒介されていた。
しかし、すべて、商品生産の上に立つ社会は、そこでは生産者たちが彼ら自身の社会的関係に対する支配力を失っている、ということをその特徴とする。
各人は、各自別々に、彼の偶然的生産手段をもって、彼の個人的交換欲望のために、生産する。
誰も、自分の商品と同じものがどれだけ市場に出てくるのか、そのどれだけがそもそも必要とされるのか、を知らない。
誰も、自分の個人生産物が現実の需要を見出すかどうか、自分の費用を回収できるかどうか、または、そもそも自分は売ることができるかどうか、を知らない。
そこには社会的生産の無政府がある。
しかし、商品生産は、他の各生産形態と同じく、それに特有の、内具の、それから分離されえない諸法則をもっている。
そして、これらの法則は、無政府状態に抗して、無政府状態のうちにあって、それを通じて、自己を貫徹する。
これらの法則は、社会的関連の唯一のなお存続する形態において、交換において、前景に現われ、個々の生産者にたいしては競争の強制法則として効力を発揮する。
したがって、これらの法則はこの生産者たちには当初は知られていないものであって、長い経験の後にはじめて次第に彼らによって発見されねばならない。
かくて、これらの法則は、生産者たちの関与なしに、生産者たちの意に逆らって、彼の生産形態の盲目的に作用する自然法則として自己を貫徹する。生産物が生産者を支配する。
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エンゲルスのこの認識は,今日のことばで言うと,「複雑系」「複雑系の科学」の考えである。
──「経済」を「複雑系」と定め,「経済学」を「複雑系の科学」と定めているわけである。
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井庭崇・福原義久『複雑系入門』, NTT出版, 1998.
p.2.
「生きている」システムは,要素に分解して理解することができない。
なぜなら,同じ要素でも全体の文脈の中でその振る舞いが変化し,それによってまた全体が変化するという循環的な仕組みになっているからである。
このような「生きている」システムのことを理解するために,「複雑系」という新しいシステムのとらえ方が注目されているのである。
p.3.
「生きている」システムの原理は,それを構成している物質を突き詰めてみても理解できない。
「生きている」システムは,それを構成する物質ではなく,その組織化のあり方に本質が隠されているからである。
p.6
システムを構成している要素は各自のルールに従って機能しており,局所的な相互作用によって全体の状態・振る舞いが決定される。
そしてそれらの全体的な振る舞いのもとに個々の構成要素のルール・機能・関係性が変化していく。
p.9
人々は限られた視野やコミュニケーションによって行動をしているが,やがて全体として文化のような大域的特性が生まれてくる。
その文化に影響され,それぞれの人の行動も変わってくる。
そして,それがまた新しい大域的な性質をつくるという循環が繰り返される。
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マルクスは,ダーウィンの「進化論」に感激した。
マルクスは,自分が行おうとしている「経済学」は「生態系の科学」に他ならないと考えていた。
そこで,ダーウィンの「進化論」を,自分を応援してくれるものと受け取ったのである。
「生態系」とは,つぎのようなものである:
フラスコに水を入れて放置する
この中に,空気中に漂っている微生物が落ちてくる。
そしてこれが,フラスコの中に「遷移する生態系」を現す:
(栗原康『かくされた自然──ミクロの生態学』, 筑摩書房, 1973. )
しかし,マルクスは間違う。
マルクスは,「経済/生態系」に対する「複雑系」の見方が,まだまだ弱かった。
そのため,安直な実践論に飛躍してしまう:
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マルクス『フォイエルバッハに関するテーゼ』
『マルクス・エンゲルス選集 第3巻』, 新潮社, 1956.
p.141.
哲学者たちはただいろいろと世界を解釈しただけである。
しかし問題は世界を変えることにある。
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「安直な飛躍」の内容は,つぎの二つである:
- 「階級対立」を立てる
- 「団結」を立てる
──「独りでは弱い被捕食者が,
団結して力を合わせ捕食者をやっつける」
自分の論の基本を,自らおろそかにしてしまったのである。
基本は,何であったか──つぎのものであった:
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そこでは生産者たちが彼ら自身の社会的関係に対する支配力を失っている」
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「 |
生産物が生産者を支配する」
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「生産物が生産者を支配する」は,「消費者が生産者を支配する」である。
経済の中の個は,捕食者・被捕食者のいずれか一方に固定されるというものではない。
ものごとは,「階級対立」「団結」のようには進まない。
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