Up 小児症国家 作成: 2020-05-03
更新: 2020-05-03


    <金造り>財政は,「贋金造り」を連想させる。
    どうにも胡散臭い
    こんなのは成り立つはずがないとする批判が,当然起こる。

    その批判は,経済のロジック,ダイナミクスの視点からのものが専らである。
    そして,素人にも思いつく「インフレーション」を学術的に導いて,批判が成ったとする。


    その批判は,まだ欠陥品である。
    「インフレーション」は,「‥‥が進行している(さま)」の「様」の方である。
    まさに問うべきは,「‥‥」の方である。

    「‥‥」は,「文化」がこれを論ずる視点になるものである。
    <金造り>財政批判の欠陥は,「文化」の視点が無いことである。

    <金造り>財政は,財政出動型財政である。
    財政出動の内容は,事業支援と手当に分かれる。
    そして日本の財政は,手当を増やす一方にして,これを<金造り>で賄っているところに特徴がある。
    日本の<金造り>財政に対する批判──これが批判することになるものは,「手当を増やす一方」の文化的含蓄である。


    「手当を増やす一方」は,政治がポピュリズムだということである。
    政治家は,国民に支持される形を「たくさんの手当」で考えるから,ポピュリズムになる。
    実際国民が政治に求めるのも「たくさんの手当」なので,こうなってしまう。

    政治は,「無いものは無い」「出来ないことは出来ない」を言えなくなった。
    言われない国民は, 「無いものは無い」「出来ないことは出来ない」がわからない幼児のようになる。
    それは,泣いてねだれば欲しい物がもらえると思う幼児である。

    日本の財政は,<「お金をくれ」とせがむ子どもに,お金を造ってわたしてやる親>である。
    <「お金をくれ」とせがむ子どもに,お金を造って渡してやる親>──この子どもの将来は?

    結論として,日本の<金造り>財政に対する批判は,つぎが形になる:
      《「お金をくれ」とせがむ国民に,お金を造って渡してやる政府。
       この国民の将来は ‥‥。》


    ちなみに,生態学としては,なんでこんなふうになるのかを考えることになる。

    根本に,<教える>を憚る社会風土がある。
    <教える>は,相手に嫌われる。
    そこで,<教える>より<おだてる>を選んでしまう。
    <おだてる>は,<本当を言わない>であるから,<騙す>になる。
    こうして,<教える>を憚る風土は,<騙す>の風土になる。

    これがいまの政治である。
    もっとも,政治家が確信犯的にこれをやっているなら,また話は別である。
    問題は,政治家も小児症世代に入れ替わるということである。

    生態学は,これを「是非」や「退行」の話にはしない。
    生態学の視点は,「進化」である。
    系は,自己組織化する系であり,絶えず変化する。
    生態学はこの変化を「進化」の視点で科学しようとするのである。