Up | 昔の貧乏と今の貧乏 | 作成: 2024-07-05 更新: 2024-07-05 |
昔の貧乏人には,貧乏の生業があった。
今は,貧乏の生業は,行政・警察から排除される。 昔は,貧乏人は集まってスラムを形成した。 孤立すると,ひとから排斥されやすいからである。 今は,貧乏人はスラムを形成することができない。 スラムは,行政により排除される。 行政は,貧乏人から貧乏の生業を奪い,そして孤立化させる。 その代わり,貧乏人を<救済される者>と定める。 今の貧乏人は,一般人と同じ装いをする。 貧乏の装いは,排除されるからである。 こうして,貧乏人はひとの目から見えなくなる。 孤立し生業をもたない貧乏人は,この境遇に抗わなくなる。 これは,飢えて死ぬことにも抗わないということである。 貧乏人は,<救済される者>になったはずであるが,「救済」はことばである。 「救済」とは何かをわかっている者はいない。 「救済」とはそういうものだからである。 「救済」はことばである。 行政は,救済システムをつくる。 それは「自立支援制度」である。 この制度は,貧乏人とミスマッチになる。 孤立した貧乏人は,自立を欲求しなくなるからである。 この制度には,「住居の無い貧乏人には衣食住を提供する」がある。 これを利用することは,行政が用意する施設に入ることである。 しかし,この施設は利用されない。 心が弱った貧乏人にとって,この施設を利用することは,いまの境遇より嫌なことになるためである。 ひとは,自分の同類が周りに多くいることで,自分を保てる。 救済者に囲まれることによってではない。 ひとは「救済」を正義にする。 正義は,「ええかっこしい」である。 それは,貧乏の生業を排除し,スラムを排除する。 そしてこの結果が,貧乏人の孤立・ひ弱化である。 正義は,ひとのためになった 正義を行う者は,正義が災厄をつくるということがわからない。 世の中が複雑系であること,何かを立てれば何かが倒れるものであることを,知らないからである。 貧乏人になることは,特別なことではない。 金が無くなること,居所が無くなることは,特別なことではないからである。 しかしこの境遇に陥った今の貧乏人は,<飢えて死ぬ>も,強く抗うものではなくなるのである。 |