Up | JR赤字路線廃線の含蓄 | 作成: 2023-10-07 更新: 2023-10-07 |
経済社会は,ペイすることが良いになる。
ペイしないものは良くないものということになり,捨てられる。 人は,ペイする・しないで右往左往する。 これが経済社会のダイナミクスである。 社会が活発であるとは,この右往左往の振れ幅が大きいということである。 経済社会は,不活発を嫌う。 活発なのは《ペイしそうなものにとびつき,ペイしなくなったものは片っ端に捨てる》であるから,これが経済社会の正義になる。 ペイする・ペイしないは,状況で変わる。 いまペイしているものは,やがてペイしないものになる。 そして,ペイしないの理由で捨てたことが,やがてとんでもなく大きな報いとして返ってくる。 経済社会は,人を豊かさに導くというものではない。 つぎつぎと新手の災いをつくり出すというものである。 実際,経済社会をおもしろく思わせるものは,この《つぎつぎと新手の災いをつくり出す》なのである。 JR赤字路線は,廃線が進められている。 経済社会の正義は「ペイしないものは捨てる」である。 赤字路線の廃線は,「こうなるのみ」といったものである。 JRは,「国鉄」が民間にされたものである。 国鉄は,地方を創生するものになった。 JRは,地方の清算を役割として負わされる。 廃線は駅が無くなることであり,駅が無くなることは市が無くなることである。 市の地図記号は,○である。 昔の日本地図は,この○がいっぱいあった。 この○は,鉄道の駅と一致する。 昔の日本地図は,市の○は鉄道網 (ネットワーク) のノードである。 市場原理は,ネットワークをトリー tree に変える。──○が分枝点と枝先になる。 トリーは,小枝がどんどん取り払われていく。──○がどんどん無くなる。 これからの日本地図は,こうなっていく。 北海道だと,トリーは枝も無くなり,函館─苫小牧─札幌─旭川 の一本になる。 枝が残っても,せいぜい札幌─帯広─釧路 がくっつているくらいである。 これを「まさかそんなことには」と思うのは,経済のダイナミクスを軽視しているのである。 廃線は,残る路線の赤字化へフィードバックする。 赤字路線は,廃線される。 赤字化・廃線は,スパイラルに進行するのである。 地方が無くなることを難しいことのように思うのは,間違いである。 市場原理が貫徹される今日では,地方が無くなるのは,簡単なことなのである。 翻って,鉄道を日本列島に隈無く広め,地方を創生しようとした時代は,何が原理だったのか? 「富国・強国」の国家原理である。 市場主義の対立概念は,国家主義である。 市場主義には,国家は無い。 市場主義は,「グローバリズム」である。 企業の大事は,国益ではなく企業益である。 国家主義者が敵とするある国は,企業には大事な得意先である。 国家主義も市場主義も,迷惑である。 主義は,すべて迷惑である。 しかしひとは,何かの主義にすがって生きるという生き方しかできない。 中国の哲学に「中庸」というのがあるが,これが哲学になるということは,「中庸」がひとには難しいということである。 話が逸れた。 鉄道の話に戻す。 これからの日本地図は,《東京を中心とした簡単なトリーの形の JR 路線の上に,少数の○がある》というものになる。 さて,市場原理だとこれでよいということになるのか? そうはならない。 先ず,大都市は地方があって成り立っている,ということがある。 ありふれているものは,その存在の大事さがわからない。 これまで地方はありふれた存在だったので,ひとは地方の大事さがわからない。 これの端的な現れが,「一票の格差を無くせ」運動が正義になっていることである。 大都市は独りで立っているわけではない。 地方によって生かされている。 地方が無くなると,大都市はどうやっていきていくことになるか? 国の外(そと) に地方を求めることになる。 これが「グローバリズム」の正体である。 いま「経済安保」の声が喧しい。 これは,国際情勢の緊迫化で,グローバリズムの脆弱さがわかってきたためである。 各国が「自国ファースト」を言い出したら,外国に地方を求める日本のやり方は破綻する──がわかってきたためである。 しかし,これを国内事情に類推することができない。 地方が無くなったりあるいは地産地消をやり出したら,都市は倒れる──が依然わかっていない。 《東京を中心とした簡単なトリーの形の JR 路線の上に,少数の○がある》が良しとはならないことを見るもう一つの見方は,「ネットワーク」である。 鉄道は,木 (トリー) ではだめなのである。 あくまでも,網 (ネットワーク) でなければならない。 インターネットは,「トリー/中央集中はダメ」の思想でつくられた。 トリーは,枝の破壊で分断される。 1箇所で分断されてしまう構造は,脆弱なのである。 そこで,拠点がネットワークのノードになる構造──中央集中の無い構造──にする。 拠点から拠点への経路は,何通りもある。 経路の何本かが壊れても,他に使える経路がある。 《東京を中心とした簡単なトリーの形の JR 路線の上に,少数の○が乗る》になると,ひとはこれをあたりまえにしていく。 そして,枝に事故が起こる。 赤字路線廃線では「バスで代行」が説かれるが,あたりまえになっている路線にバスは無い。 枝の事故は,移動がそこでストップになるのである。 昔は,「他の路線を乗り継ぐ」ができた。 いまは,もうこれができない。 JR は廃線を進める。 駅が無くなって,地方が無くなる。 この流れは止まらない。 誤解のないよう強調するが,これは「是非もない」という話である。 ひとは時代をつくっているように思っているが,大局的には「是非もなし」に流されているだけである。 しかしこれを「人間の無力」のように思ってはならない。 流れに棹さすのは,大変な力を要することなのである。 |