日本人は,少し前までは,欧米人に対し劣等感を抱いてきた。
体の大きい欧米人は,何から何まですぐれているように見えた。
この劣等感が,戦後のアメリカが農産物輸出政策として行ったパン食プロパガンダに嵌まる。
「バンを食べれば欧米人のようになれる」の思いに,知識人も行政も取り憑かれる。
いまこれを眺めれば滑稽以外の何物でもないが,ひとはいつも簡単に洗脳されるものなのである。
──いまの<真剣>は,後世では<滑稽至極>になる。
参考文献としては,林 (1958) がきまって挙がる。
大脳生理学者の著書であり,「米を食うとバカになる」「米をやめてパンに」をストレートに書いており,そしてベストセラーになっているので,安心して挙げられるというわけである。
以下,その部分を引用する:
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林 (1958), pp.159-171.
米食国民は一歩おくれる
小麦は胚が中にあって、そのまわりにビタミンB類があるので、精白してもビタミンは失われない。しかるに米は、胚が外側にあって、そのまわりにビタミンB類があるのであるから、精白するとまったくB類欠乏食になる。‥‥‥ 精白しない米でも、胃腸を害さずに食べるように煮れば、すべてピタミン欠乏食となってしまう ‥‥‥
‥‥‥ 現在は、ピタミンB1には、頭の働きを助ける作用と、もう一つ、炭水化物の消化を助ける作用と、二つの作用があることがわかった。
であるから、B1があっても、白米を食べてその消化に用いられてしまうと、頭の方で用いるのに不足する。それで、日本ではいつも不足がちの働きしかしない頭脳のままで成長発育するから、大人になってからたいへん不都合なことが起こっていることは、よく理解できる。
そこで、主食として白米を食するということは、とくに少年少女のためにたいへんなことであると考えなければならない。親たちが白米で子供を育てるということは、その子供の頭脳の働きをできなくさせる結果となり、ひいては、その子供が大人になってから、またその子供を育てるのに、ばかなことをくりかえすことになる。
どうしたらよいか。これはせめて子供の主食だけはバンにした方がよいということである。大人もできればそうしたいが、日本ではそれはなかなかたいへんであろう。
とくに農業立国の国であり、米を食わないとなると血の雨が降らずにはすむまい。だから、そういうことはこわくて言えない。
大人はもう、そういうことで育てられてしまったのであるから、あきらめよう。悪条件がかさなっているのだから、運命とあきらめよう。しかし、せめて子供たちの将来だけは、私どもとちがって、頭脳のよく働く、アメリカ人やソ連人と対等に話のできる子供に育ててやるのがほんとうである。
そして、それはむずかしいこととは思われない。なぜならば、よほど変わった子供でないかぎりは、パンの方が好きだという。しかりつけられて白米を食っている現状を見ると、好きなパンで育ててやり、りっぱな子供にしてやりたいと、だれしも願うにちがいない。 ‥‥‥
貧農を宿命とする米作りだけにとらわれていて、農政を考えてはまちがいで、どうしても小麦生産に切りかえることを考えなくてはならない。,
貧農の問題だけではない。米はうまいだけで生命のためにもたいへんに害がある。それは白米としなければ食えないからで、白米にすれば米を消化するに必要なピタミンが皆無になるからである。それが
軽視できないとわかっても、なお米のことしか考えないのはどうかしている。農政というものを考えるのに、一度だけ米をやめるという立場で考えてみてはどうであろうか。
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かくして,パンと脱脂粉乳の学校給食が始まった。
戦後団塊世代は,この洗礼を受けた世代である。
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