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「商品」の意義
教授/学習材の制作のスタンスは,基本的に「商品」を出すスタンスと同じであるべきです。
すなわち,制作者は絶えずつぎのように自問しつつ制作を進めることになります:
「買う」気になってくれるかどうか
「買って」よかったと思ってくれるかどうか
次回作も「買おう」と思ってくれるかどうか
「教授/学習材は商品である」の意味は,「教授/学習材は作品ではない」ということです。受け手の満足がすべてです。作り手の満足のためにつくられるのではありません。
「商品」に対する受け手の評価は,
- 役に立つかどうか(使える道具になっているかどうか)
- おもしろいかどうか(エンターテインメントになっているかどうか)
だけです。受け手には作り手の苦労に共感/同情する義理はありません。「商品」作成の苦労は共感/同情によって報われるのではなく,「売れた」ことによって報われます。「商品」作成は,「売れて」ナンボのものです。
教授/学習材に「商品」(特に「エンターテインメント」)の喩えをもってくると,「それは学習者に媚びることではないか」と受け取る人がいるかも知れません。しかし,消費者に媚びて「商品」が成立するものなら,苦労はないのです。
「商品」は,消費者に媚びることで成立するのではなく,
「消費者に或る種の〈欠落〉を意識させることに成功する」
ことで成立します。それは《消費者が,結果論として,これまで持っていなかったものに気づく》という形で成立します。ゆえに「商品」の実現は創造なのです。「媚びる」という安直なスタンスから得られるものではありません。
実際,教師が学習者に媚びるとき,学習者に見えているのは学習主題ではなく,あくまでも〈媚びている教師〉です。逆に,メディアとしての教師が透明になっている度合を,教材の完成度ということができるでしょう。