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VR
リアリティの実現という課題において,マルチメディア化の研究はVR(Virtual Reality)研究に接近することになります。実際“VR”は,主題(たとえば数学的主題)のリアルなあり方に対する表現としてもピッタリなものです。
VRは概念的には決して大げさなものではなく,むしろ日常的なものです。
VRであるためには,何も自分が三次元の虚構に取り囲まれる必要はありません。わたしたちは,例えば立方体をコンピュータのディスプレイ上に現わし,これの回転操作を体験することができます。しかし言うまでもなく,立方体はディスプレイの上はもちろん,コンピュータのどこにも存在してません。わたしたちは,立方体が実際には存在してないのに恰も存在しているかのように,自分の目と心を偽っています。この体験は,正真正銘VRの体験です。
小説を読むこともVR体験です。VR (virtual reality) ──「現実ではないが,実質的な現実」──はわたしたちにとって至極日常的なものなのです。
したがって,問題はVRメディアの品質です。対象を見る(見ているつもりになれる)だけのものよりは,触れる(触っているつもりになれる)ものの方が,質が高いわけです。そして,《まさにその“現実”の中にいる》と思わせるようなものが,一等級のVRメディアということになります。
もちろん,没入の効果はメディアの素材にのみ決定されるのではありません。メディアの構成によっても決定的に左右されます。例えば,小説でも“体がすっぽり入っている”ように錯覚させることができるでしょう。
しかし,だからといって“要は使い方だ”というようには思ってはいけません。素材的に貧しいメディアには限界があり,素材的に豊かなメディアには可能性があります。