Up 要 旨 作成: 2008-08-30
更新: 2008-08-30


    「リーダシップ」による「改革」は,歴史の繰り返しになる。
    リーダーシップの形態・内容が,歴史の繰り返しに他ならないからだ。

      実際,「リーダシップ」論のタイプ/パターンは,2500年前の「諸子百家」の時代に既に出揃っている。

    個人のレベルは,いまも昔も変わらない。
    昔の賢は今の時代に現れても賢であり,今の愚は昔に戻っても愚である。


    では,歴史は単純な繰り返しか?
    要素的には繰り返しでも,全体では確かに新しいレベルに動いているように見える。
    これはどういうことか?

    運動する<多様な個>の集合は,それ自体で一つの知的運動体になる。
    これは,非可逆的な運動を現す。
    「歴史の主体」を主題化するときの「主体」は,ほぼ,これである。


    「改革のリーダシップ」を唱えるのは,教養のない証拠である。 ──この「改革」は,昔やられた失敗のただの繰り返しになる。
    <多様な個>がそれぞれの持ち分で動くこと,それのみが,「改革」と呼べるものを現す。

     註 : 生き物としての個は,それ自体,運動する<多様な個>の集合である。