Up | 「歴史は繰り返す」(振り子運動) | 作成: 2008-09-14 更新: 2008-09-14 |
両端の見えない一本道に立たされるとき,進む方向を一つに決めて動き出す。 やがて,行き止まりにぶつかる。 ──「間違った方向を選んでしまった!」 そこで,方向を転じて,再び動き出す。 やがて,行き止まりにぶつかる。 ──「間違った方向を選んでしまった!」 そこで,方向を転じて,再び動き出す。 ここで「行き止まり」とは何のことか? 「限界」のことである。 「一方向に進む」を続ければ,やがて個体や場に関するいろいろなことで,限界が出てくる。 ──実際できなくなったり,やり過ぎの痛みが出てくる。 生き物は,「限界」を考えないで動く。 例:「改革」を唱える者のアタマには,「限界」の概念がない。 ──実際,<変化>を累加・累積して<限界>を算出するという概念を,一般者はもたない。 行き止まりでの方向転換を2回続けると,かつて進んだ方向 (その先は行き止まり) にまた進むことになる。 そして,実際このようになる。 この同じことをしてしまうのには,つぎの2つの場合がある: ひとは,自分のもつ情報で生きる。 自分のもつ情報が<世界>である。 この情報が貧しければ,自分が<世界>になる。 自分は,特別な存在になる。 自分の始める事業は,画期的である。 ──「僕の前に道はない 僕の後に道はできる」 そして,人が過去に繰り返してきた道を,また進む。 失敗の繰り返しは<愚>であるが,一方,失敗の繰り返しが生きる形である。 生き物は,「行き止まりになるまで進み,行き止まりで方向転換し,また行き止まりになるまで進む」を繰り返す。 生き物は,まさにこのように生きる。 このように生きるのが,生き物である。 そこで問題は,「失敗を繰り返す<愚>の程度」ということになる。 そして,この問題を立てることは,「教育」「教養」の主題化である。 (「改革」と教養) |