Up 「もののあはれ」 作成: 2008-08-03
更新: 2008-09-15


    デザイン/商品経済の気分・価値観を「ろくでもない」にするとき,「すばらしき」は?
    すばらしき」へのアプローチになるものを,ここでは「もののあはれ」とする:

    あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
    命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
    つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
    住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
    そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。


    「もののあはれ」とは?
    この問いを,つぎの問いに置き換える:
      認識の主体Sが存在Eに「もののあはれ」を感じるとき,
    それはどのような構造になっているか?

    先ず,EはSの前に自分を現したのではない。
    Sが偶然Eを認めた。
    Eは己を主張しない。

    つぎに,SはEに<深さ>を感じる──想い・考えを尽きさせない深さ。併せて,<まじめさ>を感じる。
    この<深さ・まじめさ>の感慨が,<いとおしさ・なつかしさ>の感慨につながる。


    商品デザインは,「もののあはれ」と正反対の位相にある。
    それは,ひとの前に立ちふさがろうとし,ひとを自分に引き寄せようとする。 自分を主張し,ひとが自分の思い通りになるように仕組み,そしてまた,騙す。


    学校教育の内容になる<知>は,「もののあはれ」が感慨の形になる:

    • 地形を観る。
      その構造・歴史を思念する。
    • 生き物を観る。
      それの意思・一生懸命や<命=個の一回性=種の一環>とかを思念する。
    • 昔の衣食住の跡を観る。
      意思・一生懸命や命や歴史を思念する。
    • 数学を構造物として観る。
      意思・一生懸命・知・歴史を思念する
    • Wikipedia を観る。
      <無私>になった数多くのそして多様な個から膨大・広大な知が編み出されている様を,思念する。