Up 「動作をわからせる」に関して 作成: 2008-07-10
更新: 2010-01-06


    <教える>とは,<つくる>をさせることである。 カラダを導いて,<つくる>をさせる。
    カラダがこれについていけるためには,注意を向けるポイント,作業するポイントが,その都度わかるようになっていなければならない。
    生徒は,<つくる>が進行しているその都度のポイントに,<一点集中>する。 <一点集中>とは,他のものに注意が向かわない・違った方向に行ってしまわないということである。

    板書は,まさにこれをやっている。
    これに対し,ディジタルは,動作をスキップして,<できあがり>を見せるメディアである。
    <できあがり>から溯って動作を読むことなどできない。

    アニメーションも,<できあがり>を見せるメディアであることに変わりはない。 ──象徴的に,板書のアニメーションは板書の代わりにはならない。
    実際,動作のポイントの重要なものが,あっさり捨象されている。 要するに,そこにはカラダがない。
    泳ぎのアニメーションを見て泳げるようにはならない道理である。