Up メディアが変わればカラダが変わる 作成: 2009-01-13
更新: 2009-01-13


    メディアが変わればカラダが変わる

    漢字変換で漢字を書くようになるとき,漢字が書けなくなるばかりではない。
    キーボードを押して文書を作成するようになることで,文字を書くカラダそのものを失う。

    円を描くのに,Shift キーを押しながらマウスを斜めにドラッグする。
    直線を描くのに,マウスをクリックし,つぎにマウスを別のところに移動して,クリックする。──水平・垂直・斜め45゜にするときは,Shift キーを併用する。
    この文化に生きる者は,円や直線をフリーハンドで描くということができなくなる。

    誇張して言っているのではない。本当のことである。


    わかりやすい例を一つ:筆記具が変われば,文字を書くカラダが変わる。文字の形・様相が変わる。

    • 毛筆は,筆圧で文字の太さが変わる。
      毛筆の文化では,人は筆圧を扱うカラダを形成する。

    • 鉛筆 (著しくはシャープペンシル) になると,人は筆圧調整を扱えるカラダを失う。
      文字の「はね」は,毛筆を上に浮かすときに,その間毛筆の先が紙に残っていることでつくられる。 鉛筆ではこのことがなくなるので,「はね」が無意味になる。こうして,文字の形も変わってくる。

    • ホワイトボードは,マーカーを滑らせるようにしても,文字が書ける。
      黒板は,チョークを黒板に押しつけるようにしなければ,文字が書けない。
      黒板からホワイトボードに移行するとき,筆圧の文化・カラダが失われる。

    ディジタルは伝統文化を壊す。これの意味は,ディジタルが<伝統文化をつくってきたカラダ>を壊すということである。

    カラダの形成には,長い時間がかかる。
    失うのは一瞬である。
    そして,カラダは,ひとにとってアタリマエのことなので,その意味が意識されない・わからない。

    よって,ディジタルを用いようとする者は,カラダの意味をよくよく考えねばならない。