Up バーチャル・リアリティ 作成: 2008-08-07
更新: 2010-01-07


    ディジタルは,バーチャル・リアリティをやるメディアである。
    実際,「アナログのディジタル化」の意味は,バーチャル・リアリティである。

    バーチャル・リアリティは,特別なことではない。
    ことばを使うのは,バーチャル・リアリティ。
    対象の数値化は,バーチャル・リアリティ。
    写真は,バーチャル・リアリティ。
    投影図は,バーチャル・リアリティ。

    バーチャル・リアリティを理解し使えるのは,リアルを知っている者である。
    リアルを知らない者は,バーチャル・リアリティを無意味なパターンとして見るしかない。

    リアルを知っている者が,バーチャルをつくり,活用しようとする者である。 しかし,その者は,自分がリアルを既に知っているからバーチャルを扱えるのだということに気づかない。 「バーチャルに対しひとはリアルを読み取る」と思ってしまう。
    「リアルの写しだから,当然リアルが読める」という論法だ。 <写し>に解釈の約束が伴っているということに気がつかない。 文化に属することを,人間の生理だと錯覚する。

    ディジタルを使うことは,バーチャルに慣らされることである。
    バーチャルに慣らされて,自分の認識活動でも,人とのコミュニケーションでも,リアルを喪失していく。
    そして,リアルの喪失に気がつかない。

    授業は,生徒にリアルの再構成の手法を教えていることになる。 (学問は,リアルの理論化であり,この内容はリアルの再構成である。) そして,リアルの再構成は,リアルのバーチャル化に他ならない。
    ところが,教授/学習材のディジタル化は,当のリアルをバーチャル・リアリティに代える。 最初から,バーチャル・リアリティになってしまう。
    よって,よほど確かに授業というものを理解されていないと,教授/学習材のディジタル化は,教員に授業否定の授業をやらせてしまうものになる。