- 受け手は,「注意の向け先が定まらない」体勢を強いられる。
「プレゼンターは,ディスプレイのどこを指して話しているのか?」
「ディスプレイを見るのか,話を聴くのか? (両方一緒にはできない。)」
- 内容が,アタマ/カラダに残らない。
- ディジタル・プレゼンのコンテンツは,
- 「流れる景色」(目・耳で追いかける形のもの) は,アタマに残らない。
- バーチャルは,カラダをすり抜ける。
- きれいにつくられたものは,受けとめられない。
「きれい」は,作り手が整理を重ねることの結果。
この整理の中身は,本質抽出・形式化。
「整理される」は,「直接的でなくなる」であり,受け手にとって難しいものになること。
- このようなディジタル・プレゼンは,「伝える」メディアではなく,「伝えたことにする」メディア。
- ディスプレイが終了 = 「伝える」が終了
- 「セレモニー」になってしまう
- どうしてこうなるのか?
ディジタル・プレゼンをつくる者が嵌る落とし穴がある。
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