Up ディスプレイは,<教える>にはならない 作成: 2010-01-18
更新: 2010-01-18


    ディスプレイは,簡単に・すぐに出せて,きれいで精緻なのがよい」の思いには,「授業では,生徒はディスプレイから学ぶ」の思いがあることになる。

    この思いは,間違い。
    ひとは<カラダをつかう>で学ぶ。<見る>で学ぶのではない。

    <カラダをつかう>は,不自由で,時間がかかって,汚くて,精緻でない。
    この<カラダをつかう>を教えることが,授業。

    <見る>をやる理由は,「手っ取り早い」。
    手っ取り早さが求められる状況に置かれることで,<見る>に向かう
    しかし,手っ取り早さを求めれば,報いがある。

    映像をいろいろ見せることで,いろいろ教えた気になる。
    これは,錯覚。
    映像は,本物に向かうきっかけ。
    映像は,本物の代用にはならない。

    例:
      習字,水泳
      行ったことのないところの写真・ムービー
      算数・数学

    「チョークと黒板」は,<カラダをつかう>を見せるためのもの。
    できあがりではなく,プロセスを見せることが,本位。