Up | 効率化と画一化 | 作成: 2007-02-24 更新: 2007-02-24 |
システムが立ち上がる場に居合わせる機会を持てた者は,システムに対して (「いかに」の前に)「なに・なぜ」を自ずと問うことになるので,思想を形成することになる。 一方,既存のシステムと関わる場合は,「いかに」が先行し,思想形成の契機が持たれにくい。 そして,思想のないままにシステムの管理・運営の立場につくとき,既存システムの絶対主義に進む。 昔の未来小説がコンピュータをテーマにする場合,コンピュータによる人間支配が一つの類型になっていた。 コンピュータが人の「マザー」になって,生き方を指導する。逸脱を罰する。 これは,悲観主義か楽観主義かといった問題ではなく,端的に<論理的事実>である。 情報システム/アプリケーションには,「多様性」というパラダイムがない。 せいぜい「カスタマイズ」のレベルであり,そしてそれは人や組織の圧倒的な「多様性」の前には,「画一化」の一つでしかない。 「多様性」のパラダイムがないのは,「多様性」をシステム/アプリケーションに盛り込む能力も技術も持たれていないからである。 これは,人間 (生き物/自然/社会) の圧倒的な「多様性」を理由とする。 ──能力ないし技術の未熟という問題ではない。はなから程度/桁が違うのだ。 情報システム/アプリケーションは「画一化」の方法によって,仕事を効率化する。 裏返せば,人は効率化を得るために画一化を自ら引き受ける。 このようなシステム/アプリケーションでは,「画一化からの逸脱者の存在」が,目的としている効率化の最も大きな阻害要因になるばかりでなく,システム/アプリケーションそのものを無用化するものになる。 そのため「画一化からの逸脱」は,本来人間の多様性の現れであって尊重すべきものなのだが,この組織では「犯罪行為」になる。 「画一化からの逸脱」が「犯罪行為」になる組織は,どうなっていくか? 情報システム/アプリケーションが人の「マザー」になって,生き方を指導する。逸脱を罰する。 事例を示そう。 北海道教育大学はウェブベースの教務システムを導入した。つぎは,このシステムの稼働状況の報告:
情報システム/アプリケーションを使えば,必ずこうなる。 ここでの問題は,<思想>である。 <思想>を欠いたシステム/アプリケーションの管理・運用は,システム/アプリケーションへの従属,すなわちシステム/アプリケーションの「マザー」化に進む。 わたしは自分自身教育アプリケーションを開発するものなのでよくわかるのだが,情報システム/アプリケーションの課題/問題点は「多様性」をどうやって汲んでいくかである。「多様性」は,システム/アプリケーションにとっては扱いの厄介なものだが,組織の<生命>にとって最も重要なものだ。 情報システム/アプリケーションは,「多様性」の前には,みなとんでもなくチープである。 このことをよくよく理解する必要がある。
また,こんな問題も: 履修の途中撤退は,教育的に成績「不可」とは一致しないが,「教育情報システム」では「不可」になる。 教育とシステム/アプリケーションの関係はこのようなものであり,それ以上のものではない。 前者は多様化に進み,後者は画一化に進む。 本質的なところで折り合いはつかない。 そこで,肝心なのは<使う者の知恵>ということになる。 そして,この知恵が現れるためには,その前に思想がなければならないというわけだ。 |