Up 「メディアリテラシー教育」の核心は,
自然のインテリジェンスの教育
作成: 2007-11-15
更新: 2007-11-15


    教育は,つぎの方法で人を成長させようとする:
      栄養として,良質なインテリジェンスを与える。

    このインテリジェンスには,つぎの2つがある:

      自然のインテリジェンス
      ゲームのインテリジェンス


    生計の立て方にもよるが,いまは,自然と向き合って生きるよりは,人間関係というゲームの中に生きることの方が,はるかに多い。 この多数派は,自ずとゲームのインテリジェンスに向かい,これに嵌る──ゲームおたくになる。

    「ゲームおたく」を反省する契機は,自然のインテリジェンスである。
    この意味で,自然のインテリジェンスは教養として持たねばならないものである。

    このことは特に「メディアリテラシー教育」の担当者にあてはまる。 実際,自然のインテリジェンスの教養の乏しい人間が「メディアリテラシー教育」をやれば,ゲームのインテリジェンスの中身に終始する。


    ゲームのインテリジェンスの指導は,「ゲームのインテリジェンスがなんぼのものか」の指導を含むものでなければならない。そしてそれは,ゲームのインテリジェンスを自然のインテリジェンスに相対させる形で示すことである。

      「昆虫」を教えるには,昆虫でないものを併せて示さねばならない。 一般に,一つの概念を教えるには,それと異なる概念や反例を併せて示さねばならない。なぜなら,一つのモノ・コトは,他のモノ・コトとの相対において存るからだ。

    よって,「メディアリテラシー教育」の核心は,自然のインテリジェンスに相対させる形で「ゲームのインテリジェンスがなんぼのものか」を教える教育にある。 そしてこれは,実質的に「digital はつまらない/みっともない/くだらない」の教育である。