Up 効率化と画一化 作成: 2007-02-24
更新: 2008-07-10


    システムと適切に関わるには,思想が要る。

    システムが立ち上がる場に居合わせる機会を持てた者は,システムに対して (「いかに」の前に)「なに・なぜ」を自ずと問うことになるので,思想を形成することになる。
    一方,システムが既成になっているところでこれと関わる者は,「いかに」が先行し,思想形成の契機を得にくい。 そして,思想のないままにシステムの管理・運営の側に就くとき,既存システムの絶対主義に進む。

    昔の未来小説がコンピュータをテーマにする場合,コンピュータによる人間支配が一つの類型になっていた。 コンピュータが人の「マザー」になって,生き方を指導する。逸脱を罰する。

    これは,悲観主義か楽観主義かといった問題ではなく,端的に<論理的事実>である。


    情報システム/アプリケーションには,「多様性」というパラダイムがない。 せいぜい「カスタマイズ」のレベルであり,そしてそれは人や組織の圧倒的な「多様性」の前には,「画一化」の一つでしかない。
    「多様性」のパラダイムがないのは,「多様性」をシステム/アプリケーションに盛り込む能力も技術も持たれていないからである。 これは,人間 (生き物/自然/社会) の圧倒的な「多様性」を理由とする。 ──能力ないし技術の未熟という問題ではない。はなから程度/桁が違うのだ。

    情報システム/アプリケーションは「画一化」の方法によって,仕事を効率化する。 裏返せば,人は効率化を得るために画一化を自ら引き受ける。
    このようなシステム/アプリケーションでは,「画一化からの逸脱者の存在」が,目的としている効率化の最も大きな阻害要因になるばかりでなく,システム/アプリケーションそのものを無用化するものになる。
    そのため「画一化からの逸脱」は,本来人間の多様性の現れであって尊重すべきものなのだが,この組織では「犯罪行為」になる。

    「画一化からの逸脱」が「犯罪行為」になる組織は,どうなっていくか?
    情報システム/アプリケーションが人の「マザー」になって,生き方を指導する。逸脱を罰する。


    問題は,<思想>である。
    <思想>を欠いたシステム/アプリケーションの管理・運用は,システム/アプリケーションへの従属,すなわちシステム/アプリケーションの「マザー」化に進む。

    情報システム/アプリケーションの課題/問題点は「多様性」をどうやって汲んでいくかである。「多様性」は,システム/アプリケーションにとっては扱いの厄介なものだが,組織の<生命>にとって最も重要なものだ。
    情報システム/アプリケーションは,「多様性」の前には,みなとんでもなくチープである。 このことをよくよく理解する必要がある。


    ちなみに,教育はだいたいが「情報システム」には乗らない。
    教育では,生徒の「多様性」のデコボコが出る。
    教育は多様化に進み,システム/アプリケーションは画一化に進む。 本質的なところで折り合いはつかない。

    そこで,肝心なのは<使う者の知恵>ということになる。
    そして,この知恵が現れるためには,その前に思想がなければならないというわけだ。