Up バーチャルは,リアルを知らない者には使えない 作成: 2008-08-07
更新: 2008-08-07


    投影図や写真は,リアルのバーチャルである。
    それの解釈ができるのは,リアルを知っている者である。
    リアルを知らない者は,無意味な模様として見るしかない。

    リアルを知っている者が,バーチャルをつくり,活用しようとする者である。 しかし,その者は,自分がリアルを既に知っているからバーチャルを扱えるのだということに気づかない。 「バーチャルに対しひとはリアルを読み取る」と思ってしまう。
    「リアルの写しだから,当然リアルが読める」という論法だ。 <写し>に解釈の約束が伴っているということに気がつかない。 文化に属することを,人間の生理だと錯覚する。

    コンピュータを使うことは,バーチャルに慣らされることである。
    バーチャルに慣らされて,自分の認識活動でも,人とのコミュニケーションでも,リアルを喪失していく。
    そして,リアルの喪失に気がつかない。

    授業として行われていることは,結局,「あるリアルを経験したことのない者に,そのリアルを経験させる」である。
    ところが,教授/学習材のディジタル化は,バーチャル化である。
    よって,よほど確かに授業というものを理解されていないと,教授/学習材のディジタル化は,教員に授業否定の「授業」をやらせてしまうものになる。