Up リテラシー教育のための授業特設は必要? 作成: 2007-02-26
更新: 2008-07-10


    小中学校の現行のカリキュラムには,リテラシー教育のための授業の枠はない。 現行のカリキュラムは,教科の授業で構成されている。 リテラシー教育のための授業の特設を考える者は,
      「教科の授業とリテラシー教育の授業の間の優先度」
    を問題として持たねばならない。 この問題をしっかり持つことが,リテラシー教育の授業特設を思いつきでやってしまわないようにする最初のステップ。

    つぎに,授業を特設した場合の単元計画,各授業の指導案を,曖昧さを残さないまでにきちんとつくってみる。 これは,自分が「リテラシー教育の授業担当者」の能力・資格を有する者であるかどうかのチェック。 内容が埋まらないのであれば,授業の特設をしてはならない。

    「始めることが重要」「歩きながら考える」「内容は後からついてくる」の考え方は,すべてダメ。 能力と経験のある人間は,こういう考え方をしない。 「このような考え方をするのは,自分が能力と経験において弱い者である証拠」と思わねばならない。
    そもそも,「始めることが重要」「歩きながら考える」「内容は後からついてくる」で振り回されるのは,生徒の方である。 こんなふうに生徒を振り回す権利は,教師にはない。


    ここまでくると,リテラシー教育のための授業特設はそうとう敷居の高いものになっているはずだ。 実際,授業の新規起ち上げは,本来,みな敷居が高い。 授業の新規起ち上げを簡単に考えるのは,ものごとをよく知らないからだ。

    教科教育は,歴史に練られている。 ノウハウを参照できるようになっているから,「真似る」という形で,新人教員にも授業が何とかつとまる。 一方,授業の新規起ち上げは,能力と経験のある者も,とんでもない失敗を犯す。 初めてなのだから,当然だ。
    しかし,「初めてなのだから失敗して当然」は,授業の新規起ち上げを安易に行う理由にはならない。 繰り返すが,振り回されるのは,生徒の方である。

    現行のカリキュラムには,怪しげな授業を新設する余裕はない。 現行の授業からして,改善に努めねばならない多くの問題を抱えている。

    だから,リテラシー教育の授業特設を考えるときは,意義や内容について本当に真剣に深く考え,そして綿密な授業づくりをしなければならない。 そして「自分では考えている/作り込んでいるつもり」は「本当に考えている/作り込んでいる」ことではない,ということをつねにアタマに置いておくことが肝要である。