Up 教員の不勉強──自分の<いま・ここ>に自足 作成: 2008-03-08
更新: 2008-03-08


    「モンスター・ペアレント」の「モンスター」の意味は,
      「常識外れの度合いがすごい──当人はこれに自足している」。
    学校教員の場合,教員資格取得および教員採用のシステムがあるので,この種のモンスターは一応考慮の外においてよい。
    学校教員の場合の「モンスター」は,
      「能力が低く,しかも不勉強の度合いがすごい──当人はこれに自足している」
    である。 以下は,この意味の「モンスター教員」について論じる。


    「当人はこれに自足」には,つぎの二通りがある (「モンスター」の基準:自足性):
    1. 「これは問題である」という意識がもたれない。
    2. 「問題であっても構わない (自分はこれに対策しない)」を通す。
    「モンスター教員」にも,この二種類がある。


    A の場合

    学校教員の不勉強は,大学の教員養成課程の学生のときから続いているものである。
    学校教員・教員養成課程学生は,「授業」を
      「自分が子どものときに教えられたものを,
       今度は自分がいまの子どもに教える(=伝える)」
    というふうに考える。 ──よって,つぎのようになる:

      「勉強する必要のあることは,教える内容ではなく,教え方 (指導法) である」
      「教員養成課程は,指導法をやってくれればいいのであって,役に立たない専門科目はやめて欲しい」
      「専門科目に付き合っているのは,単位を取ることが規則だから」

    そしてこの意識は,つぎのものが風土となっている大学では,壊されることがない:

    B の場合

    つぎのような時代に成長期を過ごした者は,このBタイプになる:
      なんでもかんでも (特に,「不勉強」も)「個性・主体性」にしてしまい,
      そして,この「個性・主体性」の尊重を唱える。

    「不勉強も個性・主体性」の教育を受けてきて教員養成課程の学生になった者は,つぎのような考え方をする:
      「不勉強の教員が世の中にいてもよい」
      (=「不勉強の教員だからこそ,子どもにとってよい教師だということがある」)

    この<倒錯>を自分の中でずっと持ち堪えるのはけっこうたいへんそうに思えるが,テレビドラマがやっているように,学校ストーリーの中で正規授業のシーンを 1%くらいに小さくしてしまえば,これができる。
    Bタイプ教員養成課程学生モンスターは,このような学校ストーリーで自分を保たせているわけである。