隣人交流の強迫行動としてのおしゃべり 作成: 2006-06-13
更新: 2006-06-13


    友人と電車の席に隣り合わせに座ったとき,無言はお互い気まずい。
    おしゃべりが途切れないよう,双方気をつかう。
    つまり,おしゃべりは,強迫されるものでもある。

    私語を注意されやめさせられた学生は,隣の友人を無視するポーズを強いられた形となり,居心地悪く/気持ち悪く/落ち着かなくてしようがない。
    こうなると,「私語依存症」と言える。

    授業前のおしゃべりが授業開始になってもやまないことの理由の一つとして,つぎのことが考えられる。すなわち,おしゃべりを途中終了するのは不自然なので,一応の収束をつけようとする。しかしこれがなかなか難しくて,おしゃべりをしばらく続けることになる。
    また,当人たちは,声を小さくすればおしゃべりをつづけてもだいじょうぶと思っていて,実際このようにふるまう。