自由主義との関連 作成: 2006-07-31
更新: 2012-02-02


    「<独り>ができないための私語」は,畢竟,しつけの問題。
    「教室では不要な私語はしない」を十分しつけられたことのない (したがって,「教室では不要な私語はしない」がマナーとして身についていない) 学生が,教室で私語する。

    問題はこのように至極単純。
    しかし,複雑で,的を外した問題の立て方──特に,指導法/授業形態の問題として立てるもの──が起こってくる。そして,教員に対してはむしろこちらの方が通りがよい。
    理由は,「しつけ」を指導課題として取り上げることを嫌う傾向が,大学教員の側にあるためだ。 「しつけ」は彼らに「大学の自由な気風の抑圧」「反動」を連想させる

    言うまでもないが,「しつけ」と「自由の抑圧」「反動」は何の関係もない。
    それどころか,「しつけ」は,自由主義を立てるための重要な要素である。


    自由主義は,「人間の社会的あり方」の理念としては,個人の成長度に対する要求水準が最も高いものになる。
    実際,自由の行使は,社会を壊さない行動を身につけていない者には,許すことができない。 自由主義の下の個人は,社会を壊さないことを (他人に導かれてではなく) 自ら実践できるのでなければならない。

    そこで特に,教育は,自由主義の最も重要な要素の一つになる。
    そして,「しつけ」はこの教育の基本項目。

    これまでは「大学でしつけなんて‥‥」という感じであったが,今日の状況は:

      「しつけされないで大学までのぼってきている以上,
       大学でしつけするしかない。
       ──そうしなければ,大学で学級崩壊/学校崩壊が起こる。」

    けっして笑い事ではない。